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コンスタンチノープル陥落とコロンブス

Netflixのドラマ仕立てのオリジナルドキュメント「オスマン帝国」とても面白いです。特にイスタンブールに旅行に行った人、行く人は必見。2年前に旅行に行ったイスタンブールが舞台だったので、軽い気持ちで見始めたら、半日で、あっという間に一気見。オスマン帝国のコンスタンチノープル攻撃、陥落を描く作品で、イスタンブールでのキリスト教とイスラム教の交代の歴史そのものです。難攻不落のコンスタンチノープルを攻略する側、守る側の作戦は面白いし、ジェノアや東ヨーロッパ諸国との関わりも興味深い!

時は1453年。イスタンブールはコンスタンチノープルの約1000年間はキリスト教の支配、陥落した1453年からの500余年がイスタンブールと名を変え、イスラム教の支配です。意外にもイスラム教の支配の期間の方が短いのですね。

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中心部にある観光名所アヤソフィアは、1000年近く、世界最大のキリスト教教会だったそう。コンスタンチノープル陥落により、キリスト教の教会→モスクにかわりました。最近80年程は、宗教的に中立な立場の博物館でした。2019年に私が行った時は、イスラム教ぼい尖塔や文字も、キリスト像の天井モザイクもあって、正に2つの宗教が存在している、この都市の歴史を表す建造物そのものでした。2021年現在は、トルコの政策でモスクとして使われています。

さて、Netflixですが、ドラマ仕立てで、間に学者のコメントも挟みながらのドキュメント。なんと言っても、一番の見所は、弱冠21才のオスマン帝国王が難攻不落の城壁を持つコンスタンチノープルを落とす作戦の所!

地形を見ながらの城攻め、守りの話が好きな人には特にお勧め!ここからネタバレです。↓

イスタンブール旧市街は3方向を海で囲まれた半島の先にあります。陸側には、鉄壁な守りの城壁。

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堅固な城壁に対しての、オスマン帝国の作戦は大砲、地下トンネル掘り。ウィーン包囲の際も同じような作戦です。お得意ですね。しかし、簡単には、三重、堀つきの城壁を破る事は出来ない。どなたかが、大阪夏の陣と冬の陣を連想してしまうと書いていましたが、正に…。

さて、海側の内、2面は断崖プラス城壁なので、攻略は難しい。しかし、1面には、河口のような湾があり、そこだけは、弱点。海と陸が緩やかな傾斜でつながっているので、湾に敵軍の船が入られると懐に入られる形になります。東ローマ帝国側の湾の防衛方法は何だと思いますか?

答えは、「一本の頑丈な鉄の鎖」です。それを湾の入り口に1キロに渡って張り、味方が入るときだけ、それを下げ、また、上げておく。敵船が攻めてきても、鎖がはってあるため、入れないという…。たった1本で、防衛。すごいですね。今も博物館に実物が残っています。

それに対し、オスマン側が考えた策は、なんと、湾の対岸の見張り塔(ガラタ塔、9階建)の裏山の森を切り開いて、丘を超えて、70隻の船を陸路で鎖の向こうの湾に滑りいれるという、驚きの方法。

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上の写真の真ん中がガラタ塔。その裏側(右側)を通すには、相当登らないと難しい。

イスタンブールに旅行に行った時に、正にこのガラタ塔の裏側の辺りのホテル(今は繁華街)に泊まっていたので、地形もよくわかっているのですが、急な丘です。ケーブルカーも通っている位で、タクシーで通った時は、カーブしながら、山道をおりる印象でした。

そんな場所で、何キロも木のコロで船を引っ張りあげて、脂を塗った道を滑り下ろすなんて、大胆すぎる作戦です。頭が柔軟な21才の王だからこそ出来た作戦だと思いました。

コンスタンチノープル陥落の頃には、東ローマ帝国は末期で、ほぼ領地もなく、実際にはコンスタンチノープルだけを支配していたようです。ジェノア人、ベネチア人が東西交易の拠点にしてたそう。前述の見張り塔(ガラタ塔)周辺もジェノア人居住地。コンスタンチノープルの防衛も、ジェノアの傭兵頼み。しかし、最終的に交通の要衝であるこの地がオスマン帝国に渡った事で、西ヨーロッパ人は、地中海→アジアのルートは使えなくなり、大西洋からの大航海時代に発展していくそう。21才のオスマン帝国王が後世に与えた影響は、大きいと思います。

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一方で、コロンブスはイタリアのジェノアに1451年に生まれました。しかし、スペインの力を得て、大西洋に出て行きます。1453年のコンスタンチノープル陥落をきっかけに、ジェノアの航海士達が、コンスタンチノープル経由の東西、地中海交易が出来なくなり、大西洋に面するスペインに転職⁈していったからなのかもしれません。あの何もない大西洋に危険を冒して、わざわざ出ていくのは、勇気や冒険心だけでなく、そういう差し迫った理由があったからかもしれませんね。意外な所が地理と歴史で繋がっていると、想像すると、面白いです。

現代なら大学3年生の21才の若いオスマン帝国王の大胆な作戦の成功が、間接的に、アメリカ新大陸への冒険につながったとしたら、型にはまらない若者達の大胆な行いが連鎖して、歴史は作られるのだなと思います。

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ちなみにコロンブス出身地のイタリアのジェノアは、日本では観光地として、それほどの知名度はありませんが、本当に大きな港です。現在も、地中海クルーズの拠点になっている事からも、地中海交易では重要だった事が分かります。港の周辺ほ、先の見えない薄暗い坂、入り組んだ街が続いて、海の荒くれ男達がいた頃の港街を想像させる(実際はいないと思いますが!)一帯もあります。坂の上には貴族の館などがある美しい街もあります。海からみえる景色や近くのチンクエテッレも素敵です。

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話は、ずれましたが、ぜひ、このドキュメントか、塩野七生さんのコンスタンチノープル陥落を読んで、イスタンブールで地形や名所を堪能して頂けたらと思います。








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