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ブータンを横断して観たもの

 旅の目的のひとつは、その国、その地域にしかないものに焦点を当てることにある。ブータンは世界で唯一、チベット仏教を国教とする独立国である。他国家、他民族から強制的に歪められることなく、自らの意思で連綿たる継承のチベット仏教文化があるはずだ。そういう意味ではネパール・ヒマラヤ、ラダック、ザンスカール、シッキム、アルナーチャル・プラデーシュなど地域的なチベット文化とも状況が違う。さらに中国に侵略された本家チベット本土とは現在は対極にある。日本人がブータンに懐かしさや、国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)により「世界一幸せな国・ブータン」として憧れをもつのも、その根幹はチベット仏教文化にあるのではなかろうか。もちろん幸せの国とはいえ、娑婆のこの世のことはきれい事だけではすまされないことも確かである。しかし、ここではまだ、他国からの強制力を受けなかった場合のチベット文化社会のありようを観ることができるはずである。
 2011年、東日本大震災後の11月にブータン国王(第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王)が来日された。衆議院本会議場での演説は記憶に新しい。1980年生まれの若い国王の堂々たる主張には、日本の国会議員さん達も目を丸くし自らを顧みたにちがいない。ブータンに行ってまず驚くのが、人々が自信に満ち堂々としている姿だ。若者から老人まで、女性も子供も実に凛々しい。かつての日本のような懐かしい風景、着物に似たゴ、キラの民族衣装などと相まって、人々にはまるで幕末の志士の時代、武士道の時代に生きる人々のような印象を受ける。
 ブータンの人口は約70万人。GDPは14億ドル(2011年)、日本の人口5万人程度の自治体に相当する経済規模といわれる。一人当たりのGDPは2121ドルであり、世界水準では大幅に低い。にもかかわらず人々の自信に満ちた姿勢の秘密は何であろうか。私はチベット仏教の力にちがいないと思い、その視点でこの国を観てきた。小学校の教育から仏教の教えはあらゆる教科に及んでいるという。国民が全て悟りの境地にあるはずはないが、仏教の教えが根幹にあることによる迷いのない安定感、目指すべき方向がはっきりと見えているという安心感が、人びとを自信に満ちた姿にさせていることを今回強く感じた。

 2012年秋、私は約1か月間ブータンに滞在し、西から東へ、東から西へブータン横断の旅に出た。踏査ルートは以下の地域で、結局これを2往復することになった。

パロ⇒ティンプー⇒[ドチュ・ラ(3150m)]⇒ワンデュポダン⇒ポプジカ湿原⇒[ペレ・ラ(3360m)] ⇒トンサ⇒[ヨトン・ラ(3400m)] ⇒ブムタン・ジャカル⇒[シェイタン・ラ(3,596m)]⇒ウラ⇒[トゥムシン・ラ(3740m)]⇒クリ・チュ(560m)⇒モンガル⇒[コリ・ラ(2400m)]⇒タシガン⇒タシヤンツェ⇒チョルテン・コラ
タシヤンツェ⇒タシガン⇒[コリ・ラ(2400m)]⇒モンガル⇒[トゥムシン・ラ(3740m)] ⇒ウラ⇒[シェイタン・ラ(3,596m)]⇒ ブムタン・ジャカル⇒【ブムタン谷探訪】⇒[ヨトン・ラ(3400m)]⇒トンサ(見学)⇒[ペレ・ラ(3360m)]⇒ワンデュポダン⇒プナカ⇒[ドチュ・ラ(3150m)]⇒パロ⇒[チュレ・ラ(3810m)]⇒タクツァン僧院

 旅の魅力のひとつは、目から鱗が落ちること。この旅で特に印象に残ったことを記しておきたい。


■世界最高峰の未踏峰、ガンカールプンズムとブータン・ヒマラヤ展望

 ブータンの国道1号線とでもいえる東西縦貫道はヒマラヤと平行して南を走っており、ヒマラヤから南に延びるいくつもの尾根を九十九折で越え、深い谷に入り込んでは出る。これを何度も何度も繰り返す。

 ジャカル(ブムタン)とウラとの間にあるシェイタン・ラ(峠3,596m)から世界最高峰の未踏峰、ガンカールプンズム(7,570m)が遠望できることはあまり知られていない。ここからの写真はほとんど発表されてはいないが、どっしりと堂々たる姿を写真に収めることができた。

 各峠からは遠望ながらブータン・ヒマラヤのほとんどの山をパノラマで見ることができ、中国チベット自治区内にあるクーラカンリまで展望できた。クーラカンリはかつてブータン領との主張もあったそうだが、中国国境線がじわじわ迫っており、ここでも国境問題の話し合いは平行線だという。最近は今の国境より南を中国は主張しはじめた。驚いたブータン側が交渉に出かけたところ、中国はこの問題は後世に棚上げしよう提案しているそうだ。どこかで聞いたような話だ。

▲世界最高峰の未踏峰、ガンカールプンズム(7,570m)


■ポプジカのオグロヅルの恩返し

 ブータンの西部と東・中部と分けるブラック・マウンテン山麓にあるポプジカ湿原にはちょうどオグロヅルがヒマラヤを越えて飛来していた。ここではオグロヅルは昔からの農耕カレンダーになっている。

 飛来すると蕎麦の収穫時期を迎える。しかし収穫の前にまずは、長寿の吉祥ツンツン(おそらくチベット語のツェリンと同じ)のオグロヅルに蕎麦を腹一杯食べていただくそうだ。そのあとで人間が収穫する。鶴がチベットに帰ると冬が終わり春到来、新しい蕎麦の種をまく。生活リズムは昔から鶴とともにある。

 ここポプジカにも近代化の波が来て、ブータン政府は電気を繋げることになった。しかし住民は電気は要らないと反対した。電線がオグロヅルの邪魔になれば、この村の根幹がゆらぐと思ったからだ。この話はインターネットを通じで世界に流れた。世界から募金が集まり、この山村に地下ケーブルで電気が通じたのである。

 ポプジカにはニンマ派のガンティ寺がある。オグロヅルは飛来するときと、去るときに必ずこの寺の上空を時計回りに三周まわる(コルラ)するそうだ。村人はこれをツルの恩返しの舞と考えている。もともと殺生をしないブータンでは、国全体が野生動物保護区のようなもので、動物達は安心して暮らしているのであろう。


■ブータンの雪男ミゲと雪女ミチェン

 ブータンにテレビ放送が始まったのはつい最近の1999年だ。また、全ての村250地域のうち、現在電気80%、水道90%が普及しているが、携帯電話はなんと100%の村で繋がっている。政府は2020年までに全ての村を車道で結び地域新興を行う考えである。

 ブムタンのウラ谷では、東に道路を延ばそうとしたが聖山があり、そこに雪男が住んでいるというので、地元民から反対があった。政府は雪男(伝説)保護のため道路を大幅に迂回させることになった。

 ブータンの雪男はミゲといって大男という意味。ミゲは夜中に声を出すがそれに返事をしてしまうと病気になるという。人を背中の袋に入れてさらうそうだが、女の場合優しく育てるが、男の場合は山奥で捨てるのだという。男にとってもっと怖いのは、雪女ミチェン。その男の理想の女性に化けて、遠くから誘うらしい。近づくと離れて行き、とうとう山中に引きずり込まれるのだという。いずれにせよ男には受難である。


■ブータンの埋蔵教典

 15世 紀の高僧ペマ・リンパの生まれたタンの谷、タン・チュ(川)にメンバル・ツォという淵がある。ペマ・リンパが11才にして灯明を持って飛び込み、チベット仏教開祖のグルリンポチェが隠した埋蔵教典を発見したテルトン(埋蔵経典発掘者)伝説の場所。

 この教典がツェチュ(祭)でパルド・チャムとして死後49日の世界として舞われているというので、この舞の教典は『パルド・トェドル』であろう。いわゆるニンマ派版チベット死者の書である。チベット・ラサではこの教典はガムポリという山で発見されたことになっているが、チベット各地に同じような伝説があるのであろう。ペマ・リンパが建てたタムシン・ラカン(寺)にはまだ開かれていないテルド(埋蔵教典の入った石)があり、いつしか現れるテルトンの出現を待っているという。


 ブータンは他国と比べると自由な旅行ができない独特の観光政策をとっている。外国人は一人一日あたり$70以上を観光税として政府に払っていることになる。これはブータンの重要な財政歳入で、原則無料の教育費(大学まで)、医療費にも使われる。この制度は国民の95%が幸福であると感じている政策の一端を担っているとも考えられる。完全な自由旅行を認めると、この点が崩れるかもしない。ブータンの外貨収入の主なものは、観光、インドへの電気、農産物の輸出である。ブータンにも近代化の波、市場経済の波も押し寄せてきており、インドルピー危機によりインフレも進んでいる。しかし、とにかくブータンの人たちは実直で明るい。世は狭く、国民全てが親戚縁者のような慈悲の関係で結ばれているように見える。開国後に先進国の経済発展の弊害を見てきて、同じ轍を踏まないよう「足るを知る」生き方を標榜している。そして、経済成長とGNHの共存も可能だとブータン人は自信をもっているように見える。拠り所として仏教的幸福感が根幹にあるかぎり、それは可能であるのではないかと思えたのである。この旅の大きな収穫であった。

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