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【週刊日記】できること、できないこと、できたこと#12

もう一つの忘れられない「死」

先週は父親のことを書いたが、この春の時期に私は忘れられない人をもう一人亡くしている。春の日に強い風が吹くと、その人を思い出す。どういう繋がりかと説明すると、とても長くなるが、私が初めて仕事を始めた障がい者施設で働いていた方だ。もちろん立場的には全然違うのであるが、私はその方からたくさんの励ましの言葉をかけていただき、何度も助けられた。私はその方はご病気で亡くなったとしているが、その方から声をかけていただいたことを今でも覚えている。今、私がこうして働いていられるのはその方の影響がとても大きい。だからこそこの時期はその方へ思いを馳せるのである。

すべてのスタートはここである

「障がい者施設なんって行きたくないよ」
そう母に伝えたのも、春先だった。家から近いところに、食品製造に取り組む障がい者施設が出来たらしく母親が買い物に出掛けてきた。買い物ついでに、そこで働く障がい者も募集してると聞いたらしい。しかも事務作業だ。なかなか職が安定してなかった私に、母はごり押ししてきた。それまで私は障がい者施設について正しく理解していなく、どこもディサービスのようなところだと勝手に思っていた。母は私が不明や不安に思うことを問い合わせるために、ひとつのメールアドレスを渡してくれた。自分の不安や不明な点はそこに問い合わせるように、手配してくれた。そう、このメルアドの宛先が上に書いた方宛だったのだ。私は正直に、先に書いたイメージを伝えた。そんなところに自分は行きたくないとも伝えた。それに、身体の障害故に、事務作業しかできないことも伝えた。すぐに返信を頂いた。私が抱いているイメージが違っていることを優しく教えてくださった。事務作業もたくさんあることも書いてあった。でも私は不安だった。何度もその方にメールした。その都度優しく返信してくれた。そして最後に、「とりあえず来てみなさい」といつも書いてあった。それで、私はとりあえず行ってみた。それが今に至るすべての始まりである。

「ありがとう」と伝えられなかった

その施設で働いてるときも、いつも声をかけてくださった。こんな奴だから問題を起こすこともあって、その度にメールをくれて励ましてくださった。この時期になると、その方へ思いを馳せる。私がその施設を退所し、ステップアップするとき「〇〇さんに、教えたかった」と周りの職員さんと話した。先週の父も含めた今の私を見て、どう思うかいつも考えながら仕事をしてる。その後もう一つステップアップし、一丁前なことを話しちゃう奴になってしまったが始まりに言われたことを今でも心に留めている。「とりあえず」この言葉のおかげでどんなに辛くても、始めてみよう、やってみようと思うようになった。その方に、ちゃんと「ありがとう」と言うことはなかった。だからこそ、教わったことを思いだし、こうしてアウトプットしてるのかもしれない。

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