見出し画像

【週刊日記】できること、できないこと、できたこと# 8

シビックテック車座会議

先日の金曜日は、シビックテクジャパンが企画してる「シビックテック車座会議」の方に登壇させていいただきました。何だろ、正直な話し自分なんかが、登壇してもいいのだろうと思うくらい、毎回中身の濃いイベントで、今回は「マイナスはマイナスをかけてプラスにする」というテーマを掲げさせていただき、お話しと、クロストークやワークショップを行うことができました。自分の話につきものがやっぱり「障害者」というキーワードなんですが、それをどの程度出していいか、毎回悩みの種であります。自分はこの身体になって42年(先天性なんですが)も過ぎ去っていると、「障害」に対して十分前向きに捉えることが出来て、コミカルに現状を伝えようとしてしまうが、受け入れる方も考慮して話さなければと少し反省をした。自分の中では「障害」故に出来ないことなんて笑い飛ばせるくらいでも、聞く側にされたら真剣に受け止めようとされている。そこで自分が自分のことをコミカルに伝えることは、失礼に値するのかなとも学んだ。性格的に、自分の問題を明るく考えていたいと思うものであるが、周りを察して話す事の大切さを知ることができた。

ということで、反省してる発表のYouTubeのアーカイブです。

「障害者」と「障がい者」

これも車座会議で聞かれて、正しく回答できなかった点であるが近年、障害者の表記に関して、「害」の字をひらがなにする表記が多い。この由来について、きちんとした答えを知りたくネット検索してしたところ、電動車椅子の会社であるWHILLさんが、わかりやすく説明していた。その記事では2010年の内閣府の表記に関するレポートから記事にしてあり、ここにも抜粋する

これによると、「障害」は、「害」の字をつかった漢字表記のほかに、「害」を平仮名にした「障がい」、さらに主に明治期から使われ始めた「障碍」を中心に、いくつかの表現があります。戦後、主に表記されるようになったのは「障害」で、その理由のひとつに「害」が常用漢字であることが挙げられます。
「障碍」は、明治時代前まで「しょうげ」と読まれ、もとは仏教用語でした。それが明治以降に「しょうがい」と読まれる例が現れたのですが、戦後、「当用漢字表」や「法令用語改正例」といったものが「障害」を採用した結果、「障碍」表記が減っていきました。
「障がい」に関しては、現在、賛否両論があります。「害」という漢字が「公害」や「危害を与える」といった負のイメージがあることから、一部の地方自治体や企業が自らの判断で「障がい」と表記し始めたのが始まりのようです。なお、国としての正式な見解は出ていませんが、政府が発行する書類などでは、常用漢字である「害」を使った「障害」が使用されています。

これを見ると、「害」の字を用いることでイメージが悪いという背景が大きく寄与しているらしい。しかし、公的な文章においては未だに漢字を用いるらしい。これも、私個人の意見であるが「イメージが悪い」ってそもそも論として疑問に感じる。では、イメージを悪くしてる要因はどこのあるのだろうか?そもそも社会に参画することに困難を覚える人を障害者として捉えるのであれば、そこに壁を作っているのは誰だろうか?ここで気をつけなければいけないのは、一方的に責任を押しつけないことである。社会にも要因があるが当事者にも要因がある。それは日本の障害児教育にも問題があり、大人になって利用する支援制度にも問題がある。人それぞれに、いつも「害」が生じるのであれば、私はそれを意識する意味で漢字表記を使っていきたいと思うものである。

参考にした記事はこちら
https://whill.inc/jp/column/16_shougai?fbclid=IwAR1WWaSHvMVgIwZSTzeNRm7JtY6mOsJNETNNqWRTLxFcUT4-S7Lj9R3bGIA

頭を変えるのではなく中身を変える

実は、私は表記に関しては使い分けている。自己については「障害者」、他者を扱うときは「障がい者」。しかし大切な事は、どんな境遇に置かれていても、他者を気遣える社会を作り出すことである。たとえ障害があったからと言っても他者を気遣えることは十分に行える。私たちは皆、「人」という共通のキーワードを持っている。なので、大切な事は表記じゃなくどんな人でも暮らしやすい社会を作り出すために、皆で取り組むことであると、私はずっと思っている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?