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【週刊日記】できること、できないこと、できたこと#6

オリンピックとメディア

オリンピックが始まってるらしい。頑張ってるアスリートには敬意を示していきたい。昨年もそう思ったけど、オリンピックを目指して人生を掛けているアスリートにとって、このパンデミックの中で開催されることは良かったなと思っている。時差的に、自分が仕事中に競技が重なってしまうので、意外と見られないという現状もあり、後々になって結果を知ることが今回はわりと多いのである。
以前から、思っていたのであるが、オリンピックの報道って時に誰かに注目しすぎの時があるように感じる。私の勝手な見方かもしれないが、例えば男子のフィギアで、3人ともみんな健闘したと思うんですよ。2位と3位と4位になって世界の順位ですからね、素晴らしことです。でもね、これは私の思い違いかもしれないが、4位の転倒したシーンだけ、どこのチャンネルも扱うことに、どうしても疑問を感じる。2位の方の演技ももっとみたいと、私は思うんですよね、3位の方の演技にも私は興味がある。でも、メディアというものは時に1人にスポットライトを当てすぎるときがあるように思う。私が住んでるところは4位の方の地元でもあるので、余計にメディアの扱い方が多いのかもしれないが、今回出てきた若手選手をもっと知りたいなぁと私は思った次第である。もちろん、フィギアの3選手は皆素晴らしく、今回のオリンピックでの大健闘には、拍手を送りたい。

1+1が2じゃないと思う子供だった

こんな事を書いてしまう私でありますので、私は非常に変わり者である。なんだろう、今振り返って見ても、私は変わった子供だった。いつも余計なことを考える子供だったと思う。親や学校の先生から「余計なこと言わないの」と釘を刺されることが多かった。私は昔から、深くというと語弊があるので、無駄に考えるところが多かったかもしれない。見出しにあるように、単純な式でもいろんな答えがあるんじゃないかと考えてしまうのである。もちろん数式は答えはひとつしかないのであるが、物事の答えは複数あると、思ってしまうのである。しかし自分自身としては、いろいろ考える習慣があることはとてもよかったと感じている。確かに無駄に考えて、余計に気を遣うことも時にはあるのであるが、しっかり考えることは悪いことではない。単純な答えが正しいなんて、どこか寂しいものである。

救いになった本

単純な答えなんて、どこか寂しいそんなことを思いつつ毎日を過ごしていても、周りも同じだとは限らない。私は単純な答えを求めるだけでは満足したくないので、いろいろなことに関心を示したいと思う。しかしこれまで生きてきて、自分の関心度合いと、周りの関心度合いに差があって自分が熱くなりすぎることがあったり、自分が浮いてしまうことがあった。
今月になって、養老孟司さんの「バカの壁」を読むことが出来た。養老さんのいろんな方との、対談を見聞きすることが重なり養老さんの本を読んでみたくなり、手始めに有名な本から読んでみることにした。その本の中で論じられていた点に、どうすれば自分の話をわかってもらえるかという点で、養老さんはお医者さんらしく、人間の脳の仕組みを次の方程式に定義している。

y=ax

この方程式において、xは相手に対する入力、yは相手からでる出力、aは相手の関心事である。つまり自分がどれだけxを差し伸べたとしても、相手の感じであるaが、1ないし0であれば出力を期待することは出来ないと言うことになる。私はこの話をもっと早く知っておくべきだったと読んだときに正直感じた。そして、これから何かを伝える際に、この方程式を意識すれば、伝え方も変わってくる。この本は私にとって救いとなる本かもしれない。

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