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【週刊日記】できること、できないこと、できたこと#4

2年にもなるんだけどな

先週、体調を崩していた姪っ子は、元気なったらしくとりあえず、一安心している。コロナとの問題に向かい合うようになってもう2年も経とうとしている。2020年の今頃には街を歩くときに意識してマスクをするようになっていた。会社のお客さんと会食したのも、ちょうどこの頃だった。もう2年も「コロナ禍」と言われるようになって、いろんな事に制限が加えられるようになった。もちろん、コロナウイルスに私も日々警戒をもって生活しているんですが、日々のニュースでほぼトップ記事で報道される「感染者数」の報道に、少しの疲れを覚えるときがある。確かに必要な情報だとは思うけど、じゃあ、仮に最高数が更新されたとしても、自分にできることは変わらない。私は、コロナウイルスが流行始めてから風邪を引くことがなくなった。もちろん、疑わしい症状を作り出すことしないようにしてるのだが、コロナの感染対策をすることで、今まであったウイルスからも自分を守ることが出来ている。この地球上には、コロナウイルスだけでなく、あらゆる感染症があるのに、この2年の間、社会は、日本は、世界は何を学んでいるのだろうと、ふと思うことがある。もちろん他者を批判するつもりはないが、「数」でいろいろなところに影響が出てしまうことに、そしてそれに対応できるキャパが2年も経つのに出来ないことが、少し残念である。
繰り返しておきますが、決してコロナは風邪と同じとは考えていない。

自分は既に、要介護者だった

今月になったから読んでいる本で「落合陽一34歳、「老い」と向き合う」という本を読んでいた。自分は落合陽一さんを恥ずかしながらNewsPicksというニュースサイトで知った。そのサイトで配信してる落合さんの番組が非常に面白く、いろんな問題や落合さんが感心あることに、ポンポンとやり取りしていく展開が非常に好きになった。後に落合さんの活動である「デジタルネイチャー」や「クロスダイバーシティ」を知り、さらに関心を持った。ぜひ、アーティストとしての落合さんを知りたいので、いつか個展に行ってみたいと思っている。
本の話しに戻るのであるが、興味深い一文があったのでここに記してみる。

介護には、介護職やテクノロジーが老人や障害者の補助となり、不十分な「身体の機能を補充」するという面が多分にあると考えています。

これを述べる前に、筆者である落合さんは、介護保険法の第一条の「介護」の定義について触れ、それが必ずしも人による介助がイコール介護ではないことを述べていました。
つまり、身体の多様(障害)によって(落合さんは、障害のあることを「身体の多様」と表現してます)サポートが必要なときに、テクノロジーによって補うことによって介護が実現できる、「あれ?それって、俺じゃん。」とふと思ってしまいました。例えば、お店で支払いをするとき私はお財布から、お札や小銭、クレジットカードを出すのが困難ですが、スマートウォッチやスマートフォンで十分に対応できます。言語に障害がありますが、スマートフォンのディスプレイに、テキストを表示させれば、意思を通わせることが出来ます。つまり自分は、落合さんの世界観では、既に要介護者だったのです。

要介護者であるなら、それを活かした開発者になりたい

「クロスダイバーシティ」などの活動に関心を持ち、驚かされることばかりで、「天才」って凄いなと思うことがあります。自分なんてほんと微力なスキルしか持っていないって、痛感させられることもありますが、一方で当事者として持ち合わせているスキルを使って、自分自身をまずサポートするテクノロジーを活かした介護用品というのかな、ITサービスをやっぱり作ってみたいと、先に述べた本を読みながら良く思います。そんな日がいつ来るのかは確かにわからないけど、自分が実験台になって開発できたら良いなと思います。そのためには、これからもスキル向上に努めていきたいと思うばかりです。

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