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お盆のこと

大好きなおじいちゃんが1月に亡くなり、新盆を迎えた。今までは大事なご先祖様達が帰ってくる日と分かっていたけど、一緒にいた時間も顔を見たこともなかったから、わたしがここにいるのはご先祖さまのおかげで、「大切なご先祖さま達」というほわんとしたあたたかいまぁるいたまのようなイメージで迎えていた。
でも今年は違った。一緒にたくさんの時を過ごした、おじいちゃんが帰ってきているのだ。
家に顔を出せば、わたしに悲しいことがあった時隠そうとしても、なんだ顔色が悪いけど体調悪いのか、と気づいてくれたおじいちゃん。私は心配かけまいと、泣きそうになりながらも笑ってごまかして。
気づかれないようにいつもの日常を送るつもりでも、穏やかでやさしいおじいちゃんは、もうとんちんかんだからと家族に言われながら、些細な私の変化に気づくのはいつもおじいちゃんだった。
わたしのことやみんなのこと、仏壇でご先祖様に元気でいるように毎日願ってくれた。
そんなおじいちゃんは天寿をまっとうしたけれど、わたしはまたおじいちゃんに会えたらと心の中で考えてしまう。
おじいちゃんはみんなに好かれていたから、新盆はたくさんの人がお供えに来てくれた。わたしも、ちょっと特別がすきなおじいちゃんに、メロンをあげた。
灯籠流しをみながら、もう帰ってしまうと思った。
新盆も一周忌も三周忌も、亡くなった人のためにあると思ってた。
自分が亡き後に、定期的に思い出してもらえるなんて、私が自分の立場だったらありがたいと。
でも違った。
これは生きてる人のためのものだと。生きてる人が節目節目で気持ちの整理をつけていくためのものだと。時と共にお経をあげてもらって、きっとお空の上でも幸せでいてくれているということが生きている人の救いになる。
きっと考え方は人それぞれだけど、綺麗であたたかい灯籠のひかりをみながら、ひとつひとつが誰かの大切な人、と思いながらずっとそのひかりを眺めていた。

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