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最古の記憶

僕は友人から最古の記憶を聞くのが好きだ。その人にとっての最も古い記憶は、その人の人格の形成する大きな潜在的キーポイントだと思う。
というのは単なるこじつけで、実際理屈無しに他人の古い記憶を教えてもらうことは僕にとってめちゃめちゃ楽しい事なのである。

そんな僕の最も古い記憶は、3歳、幼稚園の入園式のことである。
入園式が滞りなく終わり、先生方は保護者に対して、バス通園や食物アレルギーなどの大人の話をする。その際、園児は邪魔になるためそこからは園庭で自由に遊んで良い時間になった。
僕にとって、同年代の子供と話すのはこれが初めてで、とても引っ込み思案だった私は輪に入れていなかった。
だが、幼いなりに友人を作る努力をしていた。赤ちゃんがいくら転んでも立とうとするのと同じ原理だろう。大学生となった今では、誰かから話されない限り自分から話しかける事はない。今いる友達も、ありがたい事に向こうの優しさでできた友達である。
砂場で遊んでいる子、ブランコで遊んでいる子。自然と輪に溶け込んでいる園児を見て僕は不気味に感じた。
僕の近所には公園が少ない。あるとしても、遊具はほとんど無い、サハラ砂漠のように雑然とした場所である。小学生たちがサッカーをし、家庭に居場所のないジジイが将棋を指したりエロ本を読んだりしている。僕の親は、僕をあまり公園に連れて行きたがらなかった。
僕はこのままだと寂しいと思い、勇気を出してすべり台で遊んでいるお友達のところへ駆けた。鉄製のすべり台はギンギラ光っていて、とても高く感じたのを覚えている。僕が高校生の頃に幼稚園を再び訪れる機会があり、そのすべり台を一瞥すると、僕の胸の丈くらいしか無くて驚いた。
ひとりの友達が「これ、東京タワー!」と言った。高い=東京タワーという微笑ましい構図である。
僕は、残念ながら東京タワーを知らなかった。「タワー」はおろか「東京」の概念すらぱんぱらぱーだったろう。家族と話す過程で、当然東京住みでない僕の家庭では東京タワーの話題など出なかったのだ。
僕は「ねえ、東京タワーって何?」と素直に聞いた。幼い僕は、知らないものを何でも人(主に家族)に隅々まで聞いていたらしい。「なんで」「どうして」の無限螺旋で、家族も辟易していたという。
当然、相手も同じ3歳である。東京タワーが何なのか、人に教えるほど詳しく知るはずも無い。そのお友達はたまらず「東京タワーなの!」と声を荒げた。
僕は親以外の人間に怒られるのが初めてだったので、泣いた。恥ずかしくてすべり台から離れて園舎の端でしくしく泣いた。そこに、事の顛末を見ていた女の子の園児が現れた。
「だいじょうぶ?」「なかないで」
と、慰めてくれるではないか。
思えば、僕が落ち込んでいるところを女性に慰めてもらったのはこの1回きりだと思う。なんて優しいんだ、と思った。

でも数ヶ月経って、その女の子は別の友達を便所に閉じ込めたり、僕の絵を非難したりするめちゃめちゃ気の強い極悪人であることを知った。なんて奴だ。僕が気の強い女性が苦手なのは、十数年も前の出来事が関係してるのだ。

非難された絵はこれだ。

年少さんの父の日に描いたお父さんの絵だ。
頭が水平線のように真っ平らだ。壁に叩きつけた餅のような輪郭をしている。
この絵は、まず白っ紙に描いた絵を、先生がはさみで切って、そして緑の紙に貼り付ける(明らかに無駄な工程だと思う)のだが、僕はお父さんの頭の輪郭を紙の一番上に合わせて描いた。
その女の子は「そういう風にしちゃ駄目なんだよ」「先生に言っちゃお」と意地悪く言った。
僕はメソメソ泣いた。

今思うとどう考えても駄目ではない。

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