カラオケが嫌いで仕方なかった
昔の話が書きたい。思い出が書きたい。
何もしたくないが故の衝動である。
どの教授のゼミに入るのか申請する書類と、体育の指導案の提出の締め切りが明日の正午に迫っている。こんな無益な文章をしたためている場合ではない。
明後日に健康診断がある。したがって今日から断食を続けているため、イライラしている。今の俺には近づいたり、意見したりしない方がいい。
音楽の良さに気が付いたのは最近のことである。「今宵の月のように」「らんちう」「ループ&ループ」を聞きながら、オモコロのエッセイ漫画を読み漁る。すると、タスクを背負っているはずの俺には”そんなことしてる場合じゃない”インスピレーションが湧いてしゃーない。
カラオケ嫌いだった頃の話
初めてカラオケに行ったのは5歳くらいの頃だったと思う。親戚と一緒にカラオケに訪れた。ボックス内は薄暗く、気味が悪かった。えびせんが美味しくていつまでも食べていた。俺も数曲歌うことを勧められ、アンパンマンのテーマ曲を歌ったことを覚えている。カラオケ内映像がモグラのアニメーションで気持ちが悪かった。そして子供にとってはBGMがかなりうるさい。大人たちはもっとうるさい音を聞きなれているので鼓膜がバカになっている。次に祖父が歌った時のカラオケない映像が、これまた凄く気持ちが悪かった。下水道からワニのような化け物が顔を出し、2,3度辺りを見回した後にまた下水道に顔を沈める。祖父のビブラートとマイクエコーが気持ちが悪い。えびせんを吐いた。吐いた量は食べた量に比べて少量に抑えて我慢したのに親から怒られた。カラオケデビューは、嫌な気分で終わることとなった。
次にカラオケに行ったのは小学3年生くらいの頃だと思う。親の付き合いで子供たちも引き連れられた。大人と子供別々のボックスに隔離される。子供たちにとって「全国採点ランキング」はロマンであり、満場一致でこの採点システムを取り入れた。
俺は当時歌をほとんど知らなかった。そのため、当時GEOで借りて見ていたケロロ軍曹の歴代opとed、そして車で流れていたシドの「嘘」を歌った。ロクでもない順位だったと思う。
しかし全員数曲ずつ歌ったら飽きてしまい、「マリオパーティ8」の通信対戦で時間のほとんどを費やした。ヨッシーでゲームを遊びたかったためヨッシーを選択すると、「あっ…」という声が。同じくヨッシーで遊びたがっていた女子がしらこい演技でしょんぼりしだしたため、ヨッシーを譲らざるを得なかった。仕方なくルイージで遊んだ。今思い出してもムカっ腹が立つ。
次にカラオケに行ったのは、中学3年生の部活の打ち上げである。ある部員の親のバイト先で、1階は飲食店だったが2階がカラオケになっていた。
当時声変わりもすでに終了し、何となく人前で歌う機会が減少し、カラオケで歌うことも正直憂鬱だった。
だから俺はずっとみんなが歌うのを黙って聞いていた。しかしその俺の姿を面白くないと思ったやつがいた。
部員の1人に、凄く性格の悪い奴がいた。俺はかなりの性格の悪さを自負しているが、コイツにだけは負ける。彼は生粋のゴミである。ポイ捨てを悪いことと思わず、自殺防止コールセンターにいたずら電話をかけることを何よりの趣味としている男だった。
終盤になるにつれ、1曲も歌わない俺のことを彼はなじり出した。彼は嫌に弁が立ち、屁理屈と開き直りで場を煙に巻くことが得意な男だった。結果的に俺は最後に1曲歌わねばならなくなってしまった。「一緒に歌ってやるから!」と彼は言った。「それなら」と俺は「ハレ晴レユカイ」を選曲した。
彼は「あぁ、知ってる知ってる!」と言った。(のちに俺に何が何でも歌わせるためのウソであることが発覚する。彼は歌おうともしなかった。)
俺もサビしか知らなかった。syamu gameが歌っている光景しか知らない。その時にいい曲だなと思ったことから、ふと思い出しこの曲を選んだ。
俺はどういう歌い方をしたのか覚えていない。
高2で友達とカラオケへ行った。カラオケってこんなに面白いんだと知った。
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