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【思い出】たけのこセンター

僕が通っていた小学校の敷地内には、小高い山があった。
ごみで埋め立てて作った山にしてはそこそこ大きく、小学生30人くらいなら優に鬼ごっこなどで遊べる山だ。実際に、ケイドロが昼休みにしょっちゅう行われる場所だった。教育実習で母校に戻ったときもなお健在だった。3週間のあいだ、何度その山へ児童と行ったことか。相変わらず生き生きとした竹藪の生い茂り具合に苦笑すると同時に、ある思い出が蘇る。

小学一年生か二年生のある頃から、「たけのこ」という言葉を頻繁に耳にするようになった。話を詳しく聞くと、「たけのこセンター」をある児童が開いたということだった。
校庭の山にある竹藪の中から、10cm以下のものを「たけのこ」と定義し、そのたけのこの芸術性(太さ、形など)でポイントが与えられ、その総合ポイントで競うというものがたけのこセンターであるようだ。優秀者には何か与えられたのかどうか知らない。
それを開いた児童は成績のよい利発そうな女子で、いかにも「漫画を描いて友達に配る」とか、「自分の持ってる本でオリジナル図書館を開く」とか、もっと成長すれば「シャー芯を賭ける」とか、そういった学校の管轄から逸脱した活動を主催して人を取り巻くのが得意そうなアイディアマンの児童だった。
かく言う僕も後に棒人間の4コマ漫画を大量印刷して学級内に会社(?)を立ち上げることでその痛々しい才覚を現すようになるのだが、そのカリスマ性に当時の僕は嫉妬していた。個人で考えたアイディアが、クラスメイトの集団を惹き込んで一大ブームを引き起こしている。いつしか隣のクラスの子も入るようになった。僕も潮流に置いて行かれないよう、すぐに参加した。

この「たけのこセンター」の魅力として、免許証がある。たけのこセンターに所属したい者は、センター長の女子児童に申し入れれば白っ紙に児童の似顔絵を含んだ免許証を書いて発行してくれる。それがたけのこセンターの所属の証である。子どもの所属の欲求をくすぐるシステムはよくできていて、とても6,7歳が考えたものとは思えない。

たけのこを探して計測してもらったが、どれも数ポイントで、僕より前に始めたクラスメイトは3桁ポイントに突入しており、とてもじゃないが追いつくことはできない。僕はこのソシャゲによくある避けようのない欠点に周りのみんなより少し早く気づき、周りのみんなより少し早くたけのこセンターに飽きてしまった。

僕は、何かのはずみでこのたけのこセンターの仕組みの穴を誰かに得意げに語った。今思えば、彼女に対する嫉妬心と、揚げ足取りの気持ちもあっての発言だった。すると誰かが「嫌ならやめろよ」といったことを言ってきた。すっかり周りはたけのこセンターの虜で、センターの悪口を言うものは誰であろうと許さない状況だった。
ほんの軽口のつもりが手痛いしっぺ返しを食らったことに腹を立てた僕は、「じゃあこの免許証破るよ」とハッタリをかました。自分のせいで一人所属院が減ることをセンター長が怒ることを恐れ、止めに来るだろうと高を括ったのだ。すると予想外にも「やぶれやぶれ」と囃し立てたため、引っ込みがつかなくなった僕はその免許証をビリビリと破いてしまった。これで僕は初めてたけのこセンターを破門になった。これは自分のために免許証を作ってくれたセンター長の児童に失礼なことをしてしまったと、今では反省している。

するとソイツは「あーあ」「もう抜けなきゃだね」「もうたけのこ掘れないよ」と挑発するようになじり続けてきた。
それにもまた無性に腹が立ち、今や紙切れとなった僕の免許証の束を、ソイツの椅子と座布団の間に撒いて捨てた。意味不明な嫌がらせだ。
それを僕は授業が始まる前にニヤニヤしながら彼が座るかどうか後ろから見ていたが、僕の動向を見ていた誰かがそいつに告げ口していたらしく、座る前に座布団をめくり上げ、大声をあげて先生にチクろうとした。僕は慌てて紙束をゴミ箱に捨てて、何事もないように取り繕った。

いつしかたけのこセンターのブームは去り、誰からも忘れ去られた。みんなはあの大切にしていたたけのこセンターの免許証を、今でも持っているのだろうか?と、答えを知りながら敢えて聞いてみる。

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