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人民寺院とシュールストレミング

2000年の初夏に横浜の昭和大学病院の精神科でアルコール依存症と診断されて、母親に奈良の実家に連れ戻され、大阪堺の金岡中央病院のアルコール病棟に生まれて初めて入院してからもう13年の歳月がたった。それ以来アルコール依存症との戦いが続いている。しかしその戦いは今に至るまで勝ったり負けたりの繰り返しである。果たして勝利の女神はいつ微笑んでくれるのか?それを模索して私は今を生きている。
最初の入院の時、主治医から依存性薬物の一覧表を見せられ、一旦アルコール依存症になったら飲酒の「報酬効果」により脳内からモルヒネに限りなく近い物資が分泌されると聞いて本気で酒をやめようと思った。モルヒネ&ヘロインだけは嫌である。まだ人間はやめたくない。やりたいことは山ほどある。今死ぬわけには行かない。
入院中は不思議なことに飲酒欲求は一切なかった。しかし、退院というある種のイニシエーションを終えると、それまで隠れていた飲酒欲求が猛烈に襲ってくるのである。それは後の4回に渡る入院経験でも同じことだった。入ったら飲む気がなくなるが、出たら飲みたくなる。この理由は未だに謎である。
アルコール依存症の病棟は開放病棟で病院内や近所なら自由に行き来できる。患者の中には外出許可や外泊許可が出た際に飲酒してしまって、病院に戻ってくると保護室に隔離される者もいた。しかし私は入院当初の離脱期を除いては保護室には入らなかった。特に今のところ最後の入院になっている大阪岸和田の久米田病院の閉鎖病棟の保護室はまるで独房だった。あそこには二度と入りたくない。
「森岡クリニック」のホームページの「第1章 アルコール依存症とはどんな病気か」の最後に、「毎日飲まずにいられないのがアルコール依存症ではない。アルコール依存症の人は、飲まないでいることはできる。しかし、飲み始めるとほどよいところで止められなくなる。」と書いてある。また、「上手に飲酒することは、もはやできません。全く飲まないでいるか、問題飲酒をするかの、どちらかしかない。」とも。しかしながら、私はアルコール依存症だが、ほどよいところで飲酒をやめられる。毎日飲んでいるが、重篤な連続飲酒には陥っていない。では、私はアルコール依存症ではないのだろうか?アルコール依存症の治療の前提となっている「断酒」は果たして必要なのか?
前日に近所の立ち飲み居酒屋「Ms」に行って麦焼酎のロックを4杯飲んだところで帰宅し、仕事のために仮眠して、起きたのがちょうど午前0時だった。1杯200円の麦焼酎のロック4杯は私にとって一日の酒量としては物足りない。そこで(株)徳岡の展開する「SAKE市場グランマルシェ」というお店で売っている韓国産で1本129円の「SUPER PRIME 糖質50%オフ」という第3のビール500ml缶1本が余っていたのでそれを飲む。寝起きで喉が渇いていたのでちょうどいい。アルコールが4.5%で飲んでも滅多に悪酔いしない。その上、離脱症状(禁断症状)も全くない。
仕事までまだ時間があったので、久しぶりにJW_CADのHOW TO本を見ながらオペレーティングの練習をしていたらあっという間に1時間が過ぎていった。午前1時に近所の別の飲み屋「桂の木」に行ってジャマイカの「マイヤーズ」のラムのロックを2時間かけてゆっくり飲んだ。スピリッツを飲んだ割には全く酔いがこない。
ラムはサトウキビを原料として作られる西インド諸島原産の蒸留酒で、ホワイト・ラム(無色)、ゴールド・ラム(薄い褐色)、ダーク・ラム(濃い褐色)の3種類がある。私が好きなのはダーク・ラムである。本当はガイアナの「レモンハート」という銘柄のラムが好きなのだが、現在日本では手に入らないらしい。仕方がないのでマイヤーズで我慢した。
ガイアナというと、1955年に、ジム・ジョーンズによってインディアナ州インディアナポリスで設立され、1973年にガイアナ西部のジャングルを切り開き「ジョーンズタウン(Jonestown、正式名称はPeople's Temple Agricultural Project)」と呼ばれる町を作り上げ、外界と完全に遮断された状況下で自給自足の生活を開始し、1978年に集団自殺を行ったことで知られるアメリカのカルトの典型とされるキリスト教系新宗教教団の人民寺院が有名だ。昔のインダストリアル・ミュージック少年だった頃を思い出す。当時は殺人鬼やテロリストの本を貪り読んだものである。カルトにも興味がある。
それはさておき、4時半に仕事から戻った私はコンビニのミニストップで買ったトップバリュの「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」500mlを2本買って帰り、自宅で寝ないでCADの練習を行った。「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」は1本125円だから貧乏人の味方である。仕事帰りにはいつも買っている。
なぜCADの練習をしたかというと、即職場復帰するわけでもなく、純粋に興味からだった。今日一日やったのは、メーカーが公開しているCADデータのJWKファイルを今のウィンドウズで使える形式のJWSに変換するだけだったが・・・
寝なかったのにはわけがある。朝の9時から花見の話があったからだ。ただ、花見は口実で、実はみんなでスウェーデンのニシンを塩漬けにして缶の中で発酵させたシュールストレミングを試食しようと画策していた。シュールストレミングの臭気は強烈で、魚が腐った臭い、または生ゴミを直射日光の下で数日間放置したような臭いともいわれる。臭気指数計ではくさやの6倍以上 (8070 Au) の値を示す。なお、多くの航空会社では、飛行中の気圧低下により内圧の高いシュールストレミングの缶が破裂して周辺の荷物に悪臭が染み付く恐れがあるとして、航空機内への持込みを禁じている。このため、航空機より気圧変化が少ない船舶による冷蔵輸入以外では合法的に輸入できない。禁断の缶詰だ。
ところが当日の朝になってみると雨風があり、とても花見どころではなくなった。仕方がないので各人に中止と延期の連絡を入れる。残念だったのは、一生に一度といえるシュールストローミングの試食が延期されてしまったことだ。
また、午後からは党の花見があったのだが、これも天気で中止となった。11時半に党の地区委員会事務所に行って花見弁当を食べながらアサヒのスーパードライとサントリーのプレミアム・モルツ350ml缶それぞれ1本ずつ飲んだ。そこは年寄りの集まりみたいな場所だったので、ビールを飲んで早々に逃げ出した。
事務所からの帰りに「SAKE市場グランマルシェ」に立ち寄って「SUPER PRIME 糖質50%オフ」500ml6本入りのケースを1箱買って自宅で読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」を見ながらひたすら飲み続けた。何故かお腹がすいたのでチキンラーメンをラーメンにしないで乾麺のままボリボリ食べてしまった。仕事に行くまでかなりの時間があるので、仮眠しようと思ったので、番組が終わると、マイスリー10mg2錠、ロヒプノール2mg2錠、セルシン2mg2錠、コントミン50mg2錠、パキシル20mg2錠、ピレチア25mg1錠をビールで流し込んで寝てしまった。起きた時に2本余っていたので4本飲んでしまったのだろう。

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