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32.女子高生との合同合宿

学校が冬休みに入り、寮から強制的に追い出されようとしていた頃、函館市内の他の学校のスキー部と合同合宿をしようと言う計画が持ち上がった。誰が企画したのか分からないが、たぶんスキー部の顧問のみっちゃんか黒木先生だ。函館の他のスキークラブはというとなんと函館白百合学園高等学校と遺愛女子高等学校という女子高のスキー部の団体様と函館大学付属有斗高等学校から2名の参加らしい。男と言えば我々スキー部と有斗の2名だけ。これでは卒業真じかの女子高生の卒業旅行に男が同伴して付き添っているだけのものではないだろうか?
のんびりと寮でまっているとバスが到着したとの連絡が入った。急いでバスに行ってみるともう全員そろっているらしい。我々が最後になったのである。14,5人いた女子高生はみな3年生でもう大学の推薦入試が決まっており、ワイワイと盛り上がっていた。
 行き先はニセコ・ワイススキー場。ニセコにはニセコ・アンヌプリを中心にして、ニセコ・ワイススキー場、旭ヶ丘スキー場、ニセコ・マウンテン・リゾート・グラン・ヒラフ、ニセコ・ビレッジ・スキーリゾート、アンヌプリ国際スキー場、ニセコ・モイワ・スキー場とスキー場銀座になっている。その中でも一番地味でしょぼいスキー場がニセコ・ワイススキー場であった。
全員がそろったところで軽く自己紹介したのだが、遠くから来た生徒がやはり注目を浴びる。私なんて関西人だから、ほとんど異星人扱いだ。それが終わると早朝起こされたのか、静かになって眠りについていつようだ。バスは国道5号線をひたすらまっすぐに進んでいく。倶知安まで来て、倶知安駅の手前の信号で左折し、道道58号を少し走ればニセコ・ワイススキー場だった。(この辺りの行程は27年後に北海道の地図を見てトレースしたものであり、実際の行程とは違ったかもしれない)。
ちなみに、今のニセコ・ワイススキー場は、今は雪上車運行コースが出来ていて、山麓ロッジ前出発→山頂駅(標高940m) 登坂所要時間約30分 標高差約500m コース延長 約3000mのコースが整備されている。私たちが行ったころはこんなものなかった。リフトは全面休止。雪上車のみの運行。コースは基本的に圧雪しないというのだから大自然を感じるなら良いスキー場かもしれない。
何泊したのか覚えてないが、12月21日の冬至の日とクリスマスイヴをそこで過したので4泊くらいしたのではないだろか?スキー場に着くと、簡単なオリエンテーションの後、部屋割が決められ、部屋へ荷物を置くと、早速スキーウェアに着替えて午後からの練習が始まった。私以外の男子はスキー経験もあり、ポールを立ててスラロームやジャイアント・スラロームの練習をやっていたが、私は一人女子組に回されてボーゲンから始まるスキーの基礎練習をやらされた。
その時の気持ちを改めて考えると、「大阪生まれ・大阪育ちなんだからスキーが出来なくて当たり前でしょ?」と「野郎だけの練習じゃつまらない」といった感情があったのは確かである。本音を言えば内心ウキウキだった。
練習が終われば、入浴・食事である。宿泊はロッジで泊った。1日目か2日目か覚えていないが、たまたまテレビで映画の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」をやっていたので、それを見たいと言い出したから女子組にもその話が伝わって、ちょっとした話題になった。ちなみに「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という映画は、過激な性の暴力の描写が話題になった作品である。それを女の子たちが自室で観たのかは定かではない。
2日目の朝は、早朝5時に起きて雪上ランニングだ。メンバーが相当な厚着をしていたので、そんなに寒いのかな~と思いながら私もそれに従った。数分後、それが正解だったと確信した。とにかく寒いのである。函館では体感できない寒さだ。早朝も寒かったが、午後になるとグッと気温が下がり、生まれて初めてマイナス15℃を体験した。ゴーグルの中の湿気が凍りつき、視界は0になった。しかもそれなりのスピードで滑降していたので、一歩間違えたら木にぶつかって骨折だけではすまなかっただろうと思う。
このスキー合宿で一番盛り上がったのはやはりクリスマスパーティーだった。我が母校を含め、函館白百合学園高等学校(カトリック)、遺愛女子高等学校(プロテスタント)だったので、有斗高等学校の2人には申し訳ないが、キリスト教色の強い夕食会になった。本当はここで一人づつ一発芸をやらなくてはならず、私とOは密かにTears for Fearsの「Everybody Wants to Rule the World 」を練習していたのだが、遺愛女子高等学校の女の子がゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲のオラトリオ ≪メサイア≫ より 第2部 第44曲 「ハレルヤ・コーラス 」を歌詞も見ずに歌ったものだから、こちらも負けじと「It's A Long, Long Way To Tipperary」の替え歌の学生歌を歌おうとなったのだが、顧問のみっちゃんに窘められた。
「それは格好が悪い」
合宿最終日、他のメンバーは午後の練習も終えて、乗ってきたバスで函館へ戻るのだが、私だけ千歳発大阪(伊丹)行きの飛行機の時間があるので練習を先に上がらしてもらい、みっちゃんに倶知安駅まで車で送ってもらった。
倶知安駅から札幌行きの普通列車に乗り込むと、それなりに車内は混んでいた。ようやく座れることが出来たのであるが、こちらはスキー板とブーツを入れた大きなボストンバック。さぞ迷惑だったろうと思う。現在の時刻表でその時の思い出を振り返ってみようと思ってサイトを検索したのだが、倶知安発の下り札幌方面行の列車は運行されていない。札幌に行くためには小樽で乗り換える必要がある。例外は6時22分の苫小牧行きと、6時58分の札幌行き、21時32分の札幌行きのみである。確かに私は昼前の列車に乗ったのだが・・・
しかし、もう少し調べてみたら、1986年(昭和61年)11月1日:特急「北海」、急行「ニセコ」廃止の代替として、札幌駅 - 長万部駅間で快速列車が運転開始とあるので、私の記憶は正しかったと言える。

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