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MOONLIGHT CAFE

2001年10月10日。ダラムサラに来てすぐの頃から朝か夕方、チャイを飲みに行く習慣が付いた。チベット名物のバター茶は9-10-3の朝食時にこれでもかと言うくらい飲まされていて、少々食傷気味(実はあまり好きではない)だったので口直しにインドの甘いチャイがほしくなったのである。マクロードのバスターミナルからBhagsu-NathRoadを行ってHOTEL TIBETを過ぎたあたり、HOTEL KOKONORの手前に2軒のチャイ屋が並んでいる。1軒はSUN RISE CAFEと言い、もう1軒はMOONLIGHT CAFEと名乗っている。お客が入っていて賑わっているのは前者だが、半官贔屓の私はいつもMOON LIGHT CAFEでチャイを飲んでいた。店の中にも席はある。しかし、いつもBhagsu-NathRoadに置いてあるベンチに座って通りを行きかう人や牛を眺めながら1杯5ルピーのチャイをちびちび飲んでいたものである。
本当はこのベンチ、隣のSUN RISE CAFEが設置している物なのでたまに「どけ!!!どけ!!!」という感じで追い立てられるのだが、私もインド滞在が1ヶ月を越える頃になると神経が図太くなっていたのだろう、何度追い立てられてもそこに座り続けた。MOONLIGHT CAFEのオヤジはその都度すまなそうな顔をして店の中に入れと言うのだが、通りで飲んだほうが開放感があって気持ちいいものである。オヤジの気持ちはありがたいが店に入ることは断っていた。
さて、このMOON LIGHT CAFEであるが、前述したように隣のSUN RISE CAFEと比べてあまり繁盛していない。そのくせ私が毎日通っているものだから自ずとオヤジと仲良くなった。はじめの頃はメニューを見て「マサラ・ティー!」と注文していたのだが、いつの間にかチャイで通用するようになっており、その後は私の顔を見るなり「チャイだろ?」とにっこりしながら無言でチャイを出してくれるようになった。
最近では日本でもインド料理店やアジアンカフェなどで飲むことが出来るのですっかり馴染みの飲み物になったチャイはインドの代表的なミルクティーだ。砂糖をたっぷり入れた甘いチャイは、インドだけではなく、南アジアで最も一般的な飲み物になっている。だが、インドのチャイの歴史はそれほど長くない。インドの紅茶の歴史はイギリスの植民地時代から始まる。19世紀頃からなのでまだ新しい文化だ。
中国から茶葉を買って、大量の外貨が国外に流出するのに悩んでいたイギリスが、「自家生産」を目指して栽培地を探していたところ、当時植民地であったインドのアッサムで茶の原生木を発見。本格的な栽培を開始したことに始まる。旧支配者の飲茶文化を上流階級のインド人がアフタヌーンティーやハイティー(お菓子や軽食が伴うくつろぎタイム)として真似て、庶民へ伝わった。
チャイの作り方は2通りある。
A:ミルクを沸かして茶葉を入れて煮出す方法。
B:湯を沸かして茶葉を入れ、煮立ちかけたところへミルクを入れ、さらに煮る方法。
Aのミルクだけで煮出す方法は結構難しい。Bの場合、水とミルクの割合は同量か、ミルク多めにすること。砂糖は火にかけている間に入れる(普通はチャイのノンシュガーはない)香辛料を入れない場合はこれでできあがりであるが、やはり本場のチャイにはマサラが入っていて欲しいものである。香辛料を入れる場合は、マサラ・ティーの場合はカルダモン、シナモン、生姜などをチャイに入れる。すがすがしい香りがして風邪気味の時にはオススメかもしれない。ブラックペッパーやクローブなどを入れることもある。
MOON LIGHT CAFEのチャイの作り方はBだった。大きな鍋にいつも熱湯が入れてあり、随時茶葉やミルク、マサラを入れていた。最初にいったときはたぶん奥さんなのだろう、女性が店を切り盛りしていたが、その後はずっとオヤジの一人舞台だった。仲良くなってから奥さんと2人揃って店に出ていた時、
「記念に写真に撮らせてよ」

と言うと普段はにやけているオヤジであったがその時ばかりは畏まった顔をしていたのが可笑しかった。たぶんシャイなのだろう。最初は取っ付き辛いが仲良くなれば親切だ。
私がMOON LIGHT CAFEを贔屓にしていた理由はもう一つある。MOON LIGHT CAFEの前で靴の修理をしている兄ちゃんとシモネタで盛り上がっていたからだ。インド人の性的倫理観は真面目だと思っていた私はコイツに会ってから音を立てて崩れていった。やはりスケベな男はどこの国にもいるものである。
一丁前に名刺を持っていたので一枚もらってみると、なんと肩書きにはShoes Doctorと書かれてあった。なにがドクターだ。とことんふざけたヤツである。だが、そこがコイツのいいところである。ついでに名前も暴露しよう。
Ramesh Kumar
と言う(実名だ)。ちなみにその下には、
You are most Welcome Best Shoes Repairing
Waterproof Polish and Wax Rocsek Repairing.
Thanks
と書かれている。住所は、
Near Hotel India House,Bhagsunag Road Mcleod Ganj H.P
ダラムサラ=マクロード・ガンジに旅行で行かれて靴を修理しなければならない事態に陥った時はコイツを使ってもらいたい。たぶん今でも同じところで商売しているはずである。スケベだがいいヤツだ。ただし女性は気をつけること。たぶん口説かれる。

MOON LIGHT CAFEでチャイを注文し、Ramesh Kumarの商売用のベンチに腰掛けて飲んでいると。各国からの旅行者が通りを行き交うのが見える。10月とはいえ、マクロードの日中はまだ暖かかった。だから女性(特に白人)の旅行者がインド人の女性と比べてかなり露出度の高い格好で歩いているとRameshKumarはその都度品定めをして私に同意を求めてきた。むっちりしたヒップを揺らして通り過ぎる女性がいると、
「あの尻はいい尻だ。さぞ気持ちいいだろうな」
などと言うではないか。
失礼なヤツである。まあ、そこが私が気に入ったところなのだが・・・
ダライラマの存在が大きいのであろう、ダラムサラ=マクロード・ガンジは世界各地からこの聖地を訪れる旅行者や仏教徒に彩られ、その質素な外観とは裏腹にとても国際色豊かな町となっている。旅行者のなかでも特に多いのはイスラエル人で、後にその中の何人かと友達になったのだが、彼女たちもサリーやパンジャブ・ドレスで身を固めたインド人女性と比べたらヌードで歩いているようにヤツには見えたのだろう。スピリチュアルなオリエンタリズムに惹かれてこの町を訪れる神経質でヒッピーライクな彼らでも身に付けているものはかなりオープンであった。それにインドの男は反応する。
旅先でエッチな感情が盛り上がったことは一度もなかった。インドに来て1ヶ月経とうとするがその気持ちは薄れていない。旅先で恋に落ちる話はよく聞いたものだが、私は例外である。時々、食道で昼食をとっていた時に、日本人の学生の女の子から話し掛けられ、ダラムサラでチベット人にCADを教えていると言うと、どこか羨望の眼差しを送られたことはあるが、あまり深入りしない事にしていた。特にこれと言った理由はない。なんとなくそんな気が起こらないのである。日本にいてもナンパなど一度もしたことがない私は硬派なのだろうか?逆に年上の女性に口説かれたことはあるが・・・
パキスタンなどのアラブ諸国だけでなく、ここインドでも露出度の高い女性はジロジロ見られる(見るヤツがいる)という証明なのだろう。

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