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39.父親が呼び出される

その日、私は陰鬱な感情で函館空港で父を待っていた。今日は午前中の仕事を終わらせて羽田経由の函館行きの飛行機に乗ってきたのである。もちろん目的は喫煙騒動のおかげで2人で担任と校長から説教を受けるためである。どういう態度で接したら良いのか分からない。開口一番頭ごなしに叱られると思っていたのだが、電話口ではそうでもなかった。中学時代にも喫煙で説教を食らったことがある。そういう過去があるから、当初は私の函館行きを両親ともに渋っていたのだ。その親の予想が当たってしまったことになる。 
空港の到着ロビーから出てきた父を見ると、「しかたがないな~~~」といったような表情で私を見ると今夜泊る旅館に私と一緒に向かった。タクシーの中は無言である。それがまた私に重圧をかけた。
タバコを吸ったこと自体は反省していない。しかし、法律と寮の規則を破ってしまったことは認めなければならない。委縮するよりも何よりも格好が悪かった。たかがタバコである。されどタバコなんである。
旅館に荷物を下ろした父は食事に行こうと私を誘った。今までの意経験上、食事中にチクチクと嫌味を言われるのは分かっている。嫌々ながらも付いていくと函館でも豪華な部類に入るカニ料理のお店に入って行った。寮の食堂ではイカとホッケは何かと言うと食わされていたのでカニは別格だ。どういう理由で私にカニ料理を御馳走してくれたのかは未だに謎である。食事中も説教じみた話はなかった。ただ、寮に帰らなければならない時間だけを気にしていた。根っからのサラリーマンである。
食事後はせっかく函館まで来たのだから夜景を見に行こうとなって、タクシーで函館山を登って行った。道路は予想以上に混んでいて、父はしきりに時間を気にしていた。私に、
「時間は大丈夫なのか?」
と聞いてきたが、
「ちょっとくらい遅れても問題ないよ」
と答えたのかタクシーの中の会話の全てである。それほど無言だった。
単純に考えれば私と父との会話は、中学時代からもほとんどなかったから、親と息子との距離関係を探っていたのかもしれない。その真意は未だにわからない。今でも父との会話は皆無に近い。時間がなかったので函館山からの夜景はゆっくり見ることはできなかった。寮に帰らなければならない時間までに寮に帰らせるようにタクシーを湯の川方面に急がせた。
翌日、私と父は校長室に通されて、担任の及川先生から滾々と説教を食らい、本来であればタバコ疑惑は2回目であり、停学処分に当たるところなのだが、吸っている現場を見られていなかったことで注意だけで済んだことを言い渡された。なぜだかラクロア校長はいなかったと思う。
一通り喫煙事件の説教が終わると、私の成績のことが話題になって、
「先生、物理の課外授業をしていただけるわけにはいきませんか?」
と父が言い出した。確かに数学の小野先生は自宅で生徒に数学を教えている。
しかし、担任の及川先生が言うには、
「申し訳ありませんが、それはできません」
だった。そりゃそうだ、教師にもプライベートがあるだろう。
また、話がバンド活動になると、
「やっぱり止めさせたほうがいいんですかね~?」
といった父に対して。
「バンド活動が即成績の不振にはなりませんよ」
と、及川先生はフォローしてくれた。これはありがたかった。今の私からバンド活動を取ったら学校にいる意味がなくなってしまう。
場所を寮に移ると、今度は寮教諭の海老原先生と父だけの話し合いになって、私は面会室の外で待っていた。二人だけで何を話し合っていたのかは全く分からない。もしかしたら、私が一人部屋(個室)にいたからタバコを吸うようになったのではないだろうかと言った話が出たのかもしれない。私はただ二人の話が終わるのを椅子に腰かけて待っていた。しばらくして出てきた父に、
「もう、2度とタバコは吸わないって約束してくれ。」
と言われ、握手を求められた。私は仕方なくその手を握り返したのだが、タバコを辞める気はさらさらなかった。寮がダメなら「シコ中」ことA・Iの下宿の部屋があるではないか。しかも一人部屋から引っ越さねばならなかったのでなおさらである。人に迷惑をかけるわけにはいかない。それ以降、私は寮でタバコを吸うことを辞めた。その代わりならいくらでもあるからである。

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