見出し画像

6. スワスティカ=卍

「スワスティカ=卍」は古代インドの不変で幸運のシンボルである。「スワスティカ=卍」は幸福や幸運を意味するサンスクリット語のスヴァスティカの英国読みである。「スワスティカ=卍」はヒンズー教徒、仏教徒、そして何千年もの間、ジャイナ教で使用されている。そして同様にチベットで広く使われるようになった。「スワスティカ=卍」はまた、世界の他のほとんどの古代文化に登場している。最も古い卍は、新石器時代のインドで見られる。 一方、ドイツのハインリッヒ・シュリーマンはトロイの遺跡の中で「スワスティカ=卍」を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なした。
たとえば、ナチスで採択されたそれの反時計回りの変異体も、中世の北ヨーロッパのルーン文字のスクリプトの「ハーケンクロイツ=卐」である。「ハーケンクロイツ=卐」は神、宇宙の偉大な建築家、または幾何学のために役立つことができるので、フリーメーソンは、重要なシンボルとしてこの文字を使った。
「スワスティカ=卍」はまた、サンダーとマイトの古ノルド語神話(北欧のトール、ドイツのドナー、バルトのペルクナス)の伝統的なシンボルである。ラトビア、フィンランドの両国は第一次世界大戦後に独立を獲得したとき、サンダーの神と関連付け空軍の記章として「スワスティカ=卍」を取り入れた。
19世紀後半、グイド・フォン・リストは、ドイツの新異教主義運動の紋章として「スワスティカ=卍」を採用している。ドイツ人はサンスクリットの「スヴァスティカ=卍」を使用しなかった。しかしながら、その代わりにいわゆる逆鉤十字を意味する「ハーケンクロイツ=卐」に置き換えた。これは、新異教主義運動がキリスト教を倒すとのと同じように十字を倒し置き換えたことを意味する。新異教主義運動の反キリスト教感情を共有し、トゥーレ協会はまたそれに重畳された垂直のドイツの短剣を輪に置くと、そのエンブレムの一部として「ハーケンクロイツ=卐」を採用している。
例えば、エアハルト旅団(コンスルの前身)などドイツの民族主義運動のシンボルとして、また詩的結社グループのゲオルゲ派においても使用していた。エアハルト旅団は、第一次世界大戦後、ドイツ革命に対する反革命軍事行動のため組織されたドイツ義勇軍(フライコール)の一つである。「エアハルト旅団」は、ヘルマン・エアハルト大尉によって組織され、カップ一揆などを起こしたことで知られる。
1920年、トゥーレ協会のフリードリヒクルーン博士の提案で、ヒトラーはナチスの党旗のデザインにおいて、白い円を中心にした「ハーケンクロイツ=卐」を採用した。ナチスは赤地の上の白円の中に黒のハーケンクロイツが入ったデザインを使用した。黒、白、赤は帝政時代の国旗に使用されていた色である。ヒトラーは、赤は社会的理念、白は国家主義的理念、ハーケンクロイツはアーリア人種の勝利のために戦う使命を表しているとした。またナチスは円や背景のないハーケンクロイツも使用した。ナチスの鉤十字には二種類があった。右回りのものと、その鏡像である。ナチスは二種類を象徴的に区別しなかったが、右回りのものが一般的に使用された。鉤十字は通常45°回転して描かれた。
フランスの研究者ルイ・ポーウェルスとジャック・ベルジエールは『魔術師の朝』(1962年)の中で、ハウスホーファーは、ヒトラーがナチス党のシンボルとして「ハーケンクロイツ=卐」を使用すると確信していると書いている。彼らはこれがインドとチベットの文化の中にハウスホーファーが関心を示したものであったと仮定する。この結論は1921年までハウスホーファーがヒトラーに会ってなかったことから、ありそうにないことであるとは考えられない。一方で、ナチスの旗は1920年に最初に登場していたからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?