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1ヶ月後に死ぬなら許せることは許してしまおう

1ヶ月後に死ぬなら許せることは許してしまおう
そんなことを時々思う。

10年ちょっと前に悪性甲状腺癌の宣告を受けた。予後の良いガンと言われてるけど、ガンはガンだ。グルグルめぐる不安の中、心を整理して腹を括った。

さて、具体的にどうするか考えたところ意外に丈夫だった。できることしかできない。手術が済んでも厄介なタイプのガンであれば生きている時間が少なくなるかもしれないので優先順位を考えて、死ぬならやらないことはやめようと思った。

このとき、見えぬ枷が外れべらぼうに身軽になった。

子どもたちとたくさん話して、話しきれないことは手紙に書いて、いつものように暮らし仕事もこのまま続けてたくさんの絵を描きたい。そのほかはもう「どうでもいい」と思った。

その後、友人の医師の勧めで手術を決める前にセカンドオピニオンをと有名な専門医へ行きあっけなく良性診断経過観察で現在に至っている。

それから、気に病むことの大概のことはどうでもいい。死んでしまうならやらないことはしない、死んでしまうなら許せることは許す。それで一体どんな不都合があるというんだ!そんな新基準ができた。

「がんを宣告され死ぬかもしれない」そう信じた時の経験があっても、全くけろっと忘れるときは忘れてしまって、あほなことでいじいじくよくよ悩み始める。そしてすっかり気分が悪くなると思い出す。

ああ、死んでしまうならやらないことはしない、死んでしまうなら許せることは許すって決めたんだった。

人というのは、命がけで学び誓ったのにしれっと忘れてしまうすっとこどっこい。これはもう、意志の強さを鍛え誓いを守ることに価値を求めず、すべて愛くるしいと思って目を細めて生きていこう。石頭のわたしがぐっとゆるまった経験でした。おかげで手放せた枷と得られた幸福がたくさんあります。

丁寧に善く生きるのじゃなく、こんなに誓っても懲りてもやらかしてしまうのだから愛しくゆるむところまでが学びやったわ。なるほどなるほど。

何度かSNSに書いた記憶があるけれど、発見は更新されるから書きたくなったときに、また思い出し書いている。こうして、わたしに身についていく。


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イラストはわたしの中の何か。話しかけたり囁かれたり。重要な決定に意見してくる。ずっと一緒にいた何か。姿があるならこんな風かなと描いた。

描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ