【ひとりしずかに】 まえがき。ひとりしずかにぼやくこと。

 エッセイというものを書いてみよう、と思い立ってそろそろ1年が経つ。

 まず書き始めるにあたって、日記と何が違うのかな、と考えたんだけれども、実際のところ日々のことを記録する、という意味では大差ないものなのかもしれない。
 強いて言うなら、日記というものは文字通りのその日の記録で、エッセイというものはそれに加えて前後の情景とそれに纏わる枝葉を纏めたものじゃないかな、ということだろうか。
 あくまでこれは私の勝手な主観であり、文芸の世界でどのように定義されているか、という話ではないのであしからず。まあ、調べればすぐ出てくることだし。
 さて、なぜ1年経ってしまったのか。本当ならば、去年書き続けてきた超短篇と並行して書いていくつもりだった。しかし、自分が書きたいものをもう一度見直す、という意味で、それに全力を投入したいから、と言い訳していたからだ。
 ただ、そのおかげで、どうにかこうにかこの3月も書き上げたなら無事12本、1年の達成である。
 これは今更の話だが、私は『物書き』ではあるが『作家』ではない。言葉の正式な定義をつっこんでいくとキリがないので、またしても私の主観で済ませてしまうけれども、つまり文章を書いて収入を得て生計を立てているプロではない、ということをここで断っておきたい。専業でも兼業でもない、ただの趣味人としての文章書きなのだ。
 自分の生活を維持するための仕事をしながら、趣味の領域として自己満足のために文章を書く。正直、締め切りを設定していなければ、さらにそこで自分で決め事をしていなければ、途中で投げ出していてもおかしくはない事だった。
 他の人に言えば絶対信じてもらえないんだけれど、私は結構ものぐさなのだ。面倒くさがりな自分が、どうにかこうにかまずは1年続けたことは、自分を褒めてあげたい。偉いぞ私。まあ、3月はまだ書き上がってないけど。
 さておき、月1篇の超短篇ついては、2年目に入る4月以降も続けていく。ただ、今まで通りの『夢と現の狭間に』というタイトルのオムニバスするのか、若しくは少しだけ方向転換するか、まだ検討中である。そしてそれとは別に、これからも書き続けるため、月当たりの文章執筆量を昔に戻すためのリハビリとして、去年保留にしたエッセイもどきを書き始めてみよう、と決めたのだ。
 今日は3月14日。私にとっては、非常に重要な意味を持つ日付である。今年の曜日は合わないので外に出かける事はしないけれども、新たにこの日記もどきを始めるのには丁度良い日付であるのは間違いない。少なくとも自分のことを書き始めるという、自分なりの意思の形を示す日として。
 書き綴る内容としては、エッセイらしく日々の事や最近読んだ本などについてが中心になる予定である。
 エッセイなどとは大言壮語、実質ただの日記じゃないか。と、気まぐれにも読んでくださった方には言われるかもしれない。でも、これから月に1回、自分の記憶を辿り纏めていくことは、今後の活動に於いて何かしらアンカーの役割を果たしてくれるんじゃないかな、と思って書き始めることにした。特に読書記録については、読んだ本の内容を覚えているけれどタイトルを思い出せないという、おかしなことを避ける意味でも良いのではないかなと。
 それに、物書きの一人として、ちょっとくらい見栄張ったっていいじゃない。
 というわけで、ぐだぐだ考えながら今月から書き始めるエッセイのタイトルを決めた。

【ひとりしずかに】

 これから毎月1回、気の赴くままに書き綴られる記憶と記録。もしあなたの少しの時間で、気まぐれにも私の謎語りにお付き合いいただけるなら、嬉しいことこの上ない。

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