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自分の目で判断するということ

忘れもしない、あの日
〜自分の目で見るという事のきっかけ〜

あれは10歳の夏の日だった。
あぁ、なんて暑いんだろう。
でもいつもの様に、冷たい飲み物を準備して、お母さんが待っていてくれる。

走って帰ろう。今日のおやつは何だろう。

家に着くと、母がむせび泣いていた。
またお父さんと喧嘩したのかな。きっと父の文句を言うんだろうな。。

「かよちゃん、お母さん、背中が痛くて病院に行って来たら、大きい病院で調べなきゃいけなくなっちゃったの。胃潰瘍だって。
だから、少し留守にするかもしれない。大した事ないと思うんだけど、、。」

母はその時胃癌のステージ4だった。余命は数ヶ月、手術をしても長くて一年と医師は父に告げた。転移もあったようだ。

そしてその病名、状況は本人に(そして幼かった私にも)最後まで告げられる事はなかった。父と、母方の家族の判断だった。

数日後に入院した母は、二度と元気な姿で戻って来る事は無かった。
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これまで生きてきて、
多くの人が酷いという事や、おかしいという事、よく自分の眼で見てみたら、私にとっては違う事が沢山ありました。

逆も然り。

だから、情報やイメージ、肩書き、表層的に出てきている事だけでは決めつけない事にしています。

そんな風になった理由の一端は、これまで歩んできた人生で出会った人達、出来事にあるのかなと感じています。

記憶を遡ってみると、覚えている中で最初に感じたのは12歳の時。

幼かった私に、親戚一同、母の末期がんを最期まで隠していて、今思えばいつだったか父が私だけを呼んで言った"お母さんが前のように戻らないのはわかるよな"という言葉。

私は退院が難しいとか、家で寝たきりとかいう状況を想像していました。

みるみる弱る母に、恐怖で差し出された手を引っ込めた事も。

でも、死ぬとは思って無かった。

授業中に呼び出され、病院に行くと既に亡くなっていた状況は現実とは思えず、次々来る大人達の泣き叫ぶ声、感情を剥き出しにする親戚達に圧倒され、放心状態。

お葬式が終わるまで、映画を見ている様な感覚でした。

一通りの事が終わった後、
誰にも見られていない自分の部屋で、身体中の水分が無くなるんじゃないかと言う位泣きに泣いて。部屋に閉じこもっていました。

涙も枯れ果て、久しぶりに学校に登校した時、入学してすぐに忌引きで長く休んだ子は、必然的に注目されました。

全く接点が無かった子から、
可哀想と言われたり、

他クラスから見に来る子達、

そして泣いてないけど、悲しくないのかなぁと聞こえてきた時、

なんで知りもしないで人は色々言うんだろうと行き場のない気持ちを強く、強く感じた事を覚えています。

私はどんな人も、事象も、
目に見える部分だけで、人からの情報だけで、一方方向の見方だけで判断せず、判断したい。

この想いはこれまでの人生、
折に触れて常に強く抱いていく事になるのですが、きっかけはこの出来事だった気がしています。

そして母がいなくなって、自分の一番の理解者は自分自身なんだと思ったのもこの時。

笑っていても、ひどく悲しんでいるかもしれない。

言葉通りの感情とは限らない。
一方向でしか見ないと、偏見が生まれたりする。

真実を理解して自分で判断する為には、
想像力だって必要だって事。

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