願えば願うほど

 案外願いというものは簡単に叶うものだ。なんなら人生なんてものはかなりちょろいものなのかも知れない。和弥は平日昼下がりの教室でうつらうつらと船を漕ぐ数人の級友を視界の両端に意識する。さらに相槌を求めて瞳をのぞき込むそぶりをした先生に応えるべく、わかりやすく頷いた。この数学の授業も今日までに4回あった小テストの結果は散々なもので、今この教室で起きている級友の人数よりも点数が低かった。このままでは赤点から逃れようがない。和弥は先生からの心証をよくするべく、せめて授業中は起きていたいと願ったのが3日前の小テスト返却日。いつもなら先生の話しぶりは昼食後のこの時間帯には、思い出せる限り1番古い記憶にある祖母の子守歌のように鼓膜を心地よく揺らす。しかし今日は何か物珍しい民族音楽かのように聞こえ、眠気というものを一切感じない。こうした小さな願いは、昔から必ず叶うのだ。

 授業が終盤に差し掛かり、先生が宿題のプリントを配り始める。前から4番目と後ろの方にある和弥の席からは、ドミノの逆再生のように徐々に級友たちが起き上がってくる様子がよく見える。和弥にまでプリントが渡ると残り1枚。プリントを最後尾の人に渡すべく、腰をひねって後ろを振り返る。これはいつだかテレビタレントが、誰かと話したりするときには首だけではなく胸からその人の方を向いた方が印象が良い、と話していたからである。最後尾の美央は寝ていた。

「おい、美央も寝てんのかよ」

成績優秀で品行方正な美央が寝ていることに珍しさを感じ、起こしてしまうことを少し勿体なく感じながらも小声で話しかけた。するとずっと気を失っていた人が半年ぶりに体を動かそうとしたかのように、非常にゆっくりと体を起こしてプリントを受け取る。

「なんか寝ちゃった」

そう言ってプリントを受け取ると、美央は

「今日さ、一緒に帰れる?」

と尋ねる。美央は和弥の彼女だ。付き合い始めたのはおよそ1か月前。クラスでも人気者な美央を、内気で級友との交流も少なくスポーツもあまり得意ではない和弥は眺めているだけだったが、付き合いたいと願っているうちに何人かのグループで遊びに行くようになったのが2か月前。そして1か月前の体育祭のときに級友が見守る前で美央から告白され、付き合うことになった。

「うん、部活終わったらすぐ行くから西門の桜の前で待ってて」


 部活が終わった。和弥はサッカー部に所属するが、なかなかレギュラー入りを果たせない。レギュラー外の部員は練習の傍らで、野球部ならマネージャーがやってくれるような雑務をこなす。これは今はすっかり卒業したOBたちがマネージャーとの間で何かをやらかしてしまったらしく、それ以来サッカー部にはマネージャーがいないのだという。

 和弥は西門へ走る。正門と比べて学校の最寄り駅まで距離のある西門だが、人の出入りはやや少なく、カップルたちはよく西門を利用する。桜の木の下。美央を見つける。

「遅いよー!」

と幾ばくか眉頭を下げて見せた美央にごめんごめんと謝りつつ、携帯の時計を見る。18時30分を少し過ぎたところ。ちょうど春のダイヤ改正で学校の最寄り駅に止まるようになった急行電車の時間まで、あと20分。少し急いで歩かなければ間に合わなそうだ。急行電車に乗ることができれば2人の最寄り駅まで1本で帰ることができる。

「行こう」

と言って美央の手を引いて歩き始めた。

「今日部活どうだった?」

と美央に尋ねられる。今日はちょうどサッカー部のマネージャーで一番人気の京華から、次の日曜日に一緒に映画を見に行きたいと誘われたところだった。当然断ったのだが、話題にするには少し心地が悪く、他の出来事を探す。

「そういえば、次の試合で俺レギュラーになることが決まったよ」

と言いかける。声を発しかけて押しとどめた声帯は、誰に聞かせるでもない小さなうめき声のような音を鳴らした。誰かと話していたわけでもないのに、なんで考え事を声に出そうとしたのだろう。ふと携帯に目をやる。次の急行電車の時間まであと35分。1人で歩くには西門からでも、十分すぎる時間。ゆっくり歩いてもかなり余裕のある時間だ。携帯の18:34の文字の下にはもう1つ、メッセージの着信通知が来ていた。

「日曜日楽しみ!!」

 案外願いというものは簡単に叶うものだ。サッカー部マネージャー1番人気の京華と2人きりでデートに行けるなんて。

#2000字のホラー

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