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鈍色と青

快晴の空、通い慣れた部室で先輩のスポーツカーを洗っている。
見たことのないワックス、嗅いだことのない匂い。
卒業を控えた先輩との、短い時間を惜しむ。

いい車にはいいワックス使うんだなあ、とか。俺の原付にはギャツビーかなあ、とか。多分この車洗うのも最後だろうなあ、とか。

快晴の空、後輩がガラケーを目一杯開いて走ってきた。
これ以上開くこたねえなってくらい開いたその画面には、空の色なんてわからない光景。

青くない。液体というよりかたまり? とにかく町中の諸々の、混ざりに混ざっている様子が何となくなのになぜかよくわかる。


子供の頃からナルニア国物語が大好きで。ハリー・ポッターは数えきれないほど読み返した。ダレン・シャンには狂気的にハマったし、エミリー・ロッダのローワンやデルトラ・クエストには謎解き脳を鍛えられた。言語すら作り出したトールキンの世界には、開いた口が塞がらなかった。

そんな俺にとって、ニ度と折り畳めることはなさそうなディスプレイの光景は、ハイ・ファンタジーだった。

あり得るのか。こんなに長閑な春の日を過ごしているのに。ほんの千数百キロメートル北では、この世が邪悪に渦巻いていた。あり得るのか?

実を言うと、11年経った今でもどこか信じられていない。やっとツービートを叩けるようになってきていた俺が幼すぎたせいかもしれない。それほどまでに、東北を襲う光景は別世界を感じさせた。


「黙祷」なんてツイートしているやつは本当に黙祷していないし、復興を謳うやつは、謳う自分の声に酔っているだけだと思っている。
ただ行動だけしている人に、根拠なく憧れる。

俺は何も行動していないし、ついでに駄文を垂れ流している。
あの日、九州は快晴だった。2022年3月11日、九州は快晴だ。

でも、ガラケーのディスプレイの鮮明さは青に溶けない。

“また季節が巡ったなら 誰かが僕の元を去る
思い出せない あの歌の歌詞が 全てを物語る”
傘 / GENERAL HEAD MOUNTAIN

思い出したくないことこそが、物語を持っている気がする。

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