見出し画像

本当に必要なものとは?

もし今家が火事になって、今すぐ家を飛び出さないといけないとしたら。危ない人たちに追われ、家まで迫られ、今すぐ部屋の窓からとびださないといけないとしたら。

極論、何を持っていきますか?


先週、大切なものがつまったバックを約4時間手放した日があった。

正確に言うと、先生の家に荷物を置いて学校をふらついていたら、先生が出かけてしまい、荷物を締め出されてしまった。そのバックの中に何が入っていたかというと、パスポート、公用携帯、財布、鍵類、パソコン、等々。そう、手放してはいけないと思っていたものたちだらけ。その日は放課後日本語を教えて、そのあとはジムに行く予定だった。

運よく自分の携帯だけは握りしめていて、先生に連絡してみると、帰りは午後6時くらいとのこと。結局その日先生に会えたのは午後8時過ぎだった。理由は服がよく売れたから。もうこの感覚にもだいぶ慣れてしまった。


以前から言い続けているが、タイは本当にミラクルな出来事が多く、このようなことが起こると、少しイライラしてしまったり、気分が下がったりしてしまいがちだが、だいたいそのあとにはいいことがたくさん待っていて、その日眠りにつく時には今日もいい一日だったな、と思えるのである。


この日私が感じたことは、案外なにもいらない。ということである。必要なものってないなって。


本当に極論をいうと、命されあれば、というところにたどり着くのだろうけど、現実的に考えてみたら、今の私の場合、パスポートくらいかな。だって、時間さえ待てば、いつか先生は家に帰ってくるし、鍵は壊せば開くし、だいたいのことはどうにでもなると思ってしまう。

その日は案の定生徒は来なくて徒歩で家に帰り、アパートの大家さんに話して鍵を開けてもらい、運よく自転車は鍵をかけていなかったから、身一つでジムに行った。午後8時過ぎに先生と合流し、先生のルームメイトであり、私のタイのお母さん的存在であるクンメーガイに、晩御飯をごちそうしてもらった。午後4時以降、身一つで一日が終わった。


タイにきてから、よりシンプルに生きていきたいというぼんやりした気持ちが芽生え、生活や自分自身も寄っていっている感覚はある。もちろん災害に備えた、防災セット・非常用持ち出し袋もあるが、私の周りには、いざというときに助けてくれる人がたくさんいるな、とあらためて思った。

そのような周りのありがたい環境もあり、今の私は身一つでも生きていける気がするのかもしれない。このことについて考える機会を与えてくれた、バック締め出し事件にも感謝である。


そして、あらためて、今の環境や周りの人にありがとう。である。


Ayano

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?