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いただきもの

2週間ほど前に、久しぶりに両親とテレビ電話をした。

いつも通り近状報告をしていると、急に母から祖母の家を取り壊すことになったと告げられた。

母方の祖父が亡くなって17年、祖母が亡くなって5年が経つ。祖母が亡くなってからは祖母の家は空き家で、兄が少し住んでいたり、たまに母が様子を見に行ったりという感じであったが、なんせ母が幼少期の頃に建てられた家であったため、老朽化も進んでいた。

祖母の家は市内の中心地のかなりいい場所にあり、周りはここ数年で見違えるように開発が進んでいる。
土地を売ってほしいと話を持ちかけられても譲らなかった祖母の家であったが、老朽化がさらに進みご近所さんに迷惑をかけることがないように、今回の決断な至ったそうだ。

祖母はもちろんのこと、祖母の家には私自身大変お世話になった。生まれた時から今に至るまでの思い出が全て詰まっている。わたしはおばあちゃんっ子であった。祖母が家に泊まりにくることがあると、学校に行くときに、帰ってきたらちゃんと迎えてね、絶対に帰らないでねと指切りげんまんをし、学校から帰ってきて祖母がいなくなっていると泣いていた。祖母の家に泊まると、寝る前にアイスを食べながらテレビをみて寝るのがきまりだった。朝目覚めると祖母が優しい力加減で三つ編みを編んでくれた。そして今はなきダイエーにピザを買いに行くのがルーティーンだった。

そんなたくさんの思い出がつまった家はもうすでに取り壊し工事が始まっている。跡地はどうなるのかまだ分からないが、不動産に売ったそうだ。よく、久しぶりに懐かしい土地を訪れた時、「あれ、あのお店なくなって更地になってる」とか、「あそこには新しいお店ができているね、前は○○だったのに」などと話すことがあったが、まさか祖母の家がそうなる日がくるとは思わなかった。

気がかりなのが、母のことだ。
私にとっては祖母の家。母にとっては実家である。
実家がなくなるとは、どのような感覚なのだろうか。私の実家は、私が小学生の時に建てたため、今年で十数年が経つ。縁起が良い話ではないが、両親がなくなり、実家もなくなることを想像すると、明日から生きていける心地がしない。
母は今、自分の家庭を持ち、子供もいて、自分の家もあるが、それにしても実家がなくなるとは、子供の私でもたまらなく悲しいのに、母にとっては悲しどころではないはずである。

今ここに生きるというのは、神様からいただいたもので、いずれは天国に行くときに返すもの。

と誰かが言っていた。
祖父と祖母はきっと天国に行くときに、この土地を忘れてしまって、やっと返す時が来たんだ。そしてこの土地にはまた新たな人生が吹き込まれるのだなと思うことにした。

私が住んでいる土地、場所、家、全てのいただきものに感謝してこれからも生きていきたい。

Ayano

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