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楽しんでなんぼ

タイに来て初めて傘をさした。
いつもはギッラギラの太陽が顔を出し、洗濯物も一時間で乾くのに、珍しく2日経ってもビショビショである。

タイに来てから、香りや風景、気候に敏感で、これからに触れることによって昔の記憶が蘇ることがよくある。
昨日は雨が急に強くなり、傘に響く雨音を聞いて、東京にいた頃のバイト帰りの雨の夜を思い出した。
なぜかわからないけれど、以前書いたミラクルに加え、この現象も本当によく起こる。

また、最近はまっていることの一つにpodcastsがある。今まで全く知らなかったし、手をつけていなかったが、長谷川潤のInstagramをきっかけに聞くようになった。長谷川潤のPodcastsは全22回で、あっという間に聴き終えたが、ラジオという分野に興味を持つようになったのと、耳だけ使うため効率よく知識を得ることができること、さらに、意外と色々な会社がやっていることなど、新しいことを知るきっかけになった。

記事を書くのは久しぶりである。一日一日が濃く、その中で書きたいこともたくさんあり、なかなか手をつけられずにいた。
そんな中、最近の自分の中でキーワードになっているのが、"楽しんで生きていきたい"ということである。

私は中高生の頃からアフリカに興味があった。理由はいくつかあるが、テレビでマサイ族を見たこと、祖母の死、兄と一緒に見た「ルワンダの涙」という映画、などがきっかけである。

最近はネットで簡単に情報を得ることができるが、やっぱり未知すぎる世界を自分の目で見て感じてみたいという気持ちが強い。そうは言っても、ライブ配信はみることがある。たまにyoutubeでアフリカのサファリのライブ配信映像を夜な夜な一人で見ることもある。

ライブ配信を通して、最近とても感動した出来事があった。
ケニアの女子ラクロスチームである。
一ヶ月ほど前、U19の女子ラクロスの世界大会がカナダで開催された。もちろん日本も出場し、最後惜しくも一点差で結果は5位だった。
このような言い方をすると、結果が大事なように聞こえるが、タイに来てその考え方はだいぶ変わった。日本にいて、習い事や部活をしていたときは、もちろん過程があっての結果、であったが、結果のための過程、という方が強かったように感じる。つまり、結果に重きがおかれており、結果が全てを表すのだ。

私の考えが変わったきっかけの一つは、タイ全体で行われる、日本語コンテストに参加したことだ。
もちろんコンテストとなると、一次、二次、全国大会、と先はあるわけで、私は、たくさん勉強、練習して掴んだ勝利によって、もっと生徒たちに自信をつけられたらベストだなと思っていた。出るからには結果を残したかった。
ただ、生徒たちと先生は違ったようだ。
もちろんコンテストに向けて勉強を一生懸命する生徒もいるが、コンテストに参加するほとんどの生徒は、いつもと取り組みは変わらないか、むしろいつもより取り組まない子もいた。先生はずっと、経験が大事、の一点張りだったし、わたしって高望みしすぎなのかな、と自分について考えたこともあった。
コンテストを終え、参加した13人のうち、2人の生徒が一次、二次と通過し、次の全国大会に進むことになった。コンテストに向けて一生懸命取り組んでいた子達はもちろん落ち込んでいたが、次の日にはケロっとしていて楽しかったねーなんて言っていた。先生もいい経験になりましたねーという感じだった。
わたしは楽しかったねーで済ませられることに驚いたのであった。

ケニアの女子ラクロスチームの話に戻るが、おそらく、今回この世界大会に出場したケニアの女子ラクロスチームは、この大会に出場するために結成されたチームである。他の記事で読んだが、このチームは、カナダで試合を迎えるまで、本当に数々の困難を乗り越えてきたそうだ。コーチ問題やパスポートやビザ取得のための国との対立、選手の学校での教育やマラリア治療など、本当に大変だったそうだ。

世界大会は全試合がインターネットでライブ放送をしており、タイ時間の夜中でなかなかきつかったが、私はケニアの全試合をみた。みた理由は他にもなく、一試合目をみたときに、とにかく魅了されたのである。
ケニアではじめての女子ラクロスチーム、はじめての世界大会出場、はじめての勝利、歴史的な一場面をこの目でみた。
ライブ配信の映像を通してではあったが、選手たちは心からラクロスを楽しんでいるように見えた。一点入るとみんなで駆け寄り踊り出す。相手チームボールであっても、とにかく最後までボールを追いかける。負けてしまった時は試合終了のホイッスルが鳴ってすぐ、ゴールキーパーのところにみんなで集まって肩を組み合い歌う。その瞬間は悲しそうだが、数時間後には、またみんなで楽しそうに歌いながら踊っている。

とても羨ましい光景だった。

自分自身を振り返ってみると、私は勝利の先に楽しいがあった。勝つから楽しい、おもしろくなる。負けると怒られたり反省ばかり。
高校、大学と、体育系の部活に所属していたが、特に大学では、好きで、やりだしたら楽しくて始めたラクロスが、引退することには勝たないといけないプレッシャーにばかり追われ、全く楽しめていなかった。
入学して間もない一年生の頃、コーチからはとにかくラクロスを楽しめと言われていた。2年生になりAチームに入り、同じポジションの先輩を超したくて、負けず嫌い精神でとにかく毎日練習をした。3年生になりスタメンは確保、自分のプレー一つ一つの責任が重くなってきて、チームを勝利に導くためにはどうしたらいいかとにかく考えた。4年生の最後の一年、絶対2部昇格という目標を達成するべく、厳しい環境の中でも、できるだけのことをやろうと尽くした。
4年間ずっとラクロスが大好きという気持ちは変わらなかったが、私の中では、2年生の頃からラクロスを楽しむということは薄れかけてきて、最終的には勝つために、の一点張りになっていた。
だからこそ、本当にケニアの選手たちが輝いて見えて羨ましかった。私も一緒にプレーしてみたいと思った。

彼女たちの中では、明らかに、勝ち負けではなく、楽しむことやそれぞれの中での目標や強い信念が勝ちに繋がったのである。あくまで勝つことが第一ではない。

世界大会を終えて、ケニアのラクロスチームのコーチもはっきりと言っていた。「もし大会で勝てなかったら、、それは悔しいけれど、大事なのはそこじゃないんです。」と。

日本に帰ったらやりたいことリストを作成中で、その中に"ケニアでラクロスをする"を追加した。あんなチームメイトと一緒にスポーツを楽しめたらきっと楽しんだろうなー。これこそ、ポジティブに、楽しく生きる、だと思った。さっきからもう"楽しい"しか言ってない。まずは形からはいってこう!

Ayano


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