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自分らしさとは

"自分らしさ"ってなんなんだろう。

最近ふとした時によく思い浮かぶ疑問である。

"自分らしさ"ということに疑問を持ち始めたのは就活の時期だった。短期間で、生まれてから今までの生い立ちを振り返る自己分析をしてみたり、すぐそこに迫ったSPIテストの勉強をしてみたり。そうしているうちに、なんで大学4年生で就活をして、卒業したら会社に勤めないといけないんだろうと思った。
これが悪いことではなくて、大体の人が歩むこの道に、なんで自分ものっていっているんだろうと思った。
この考えにたどり着いたのも、自己分析をしたから気づいたわけであって、それまでの取り組みや大体の人が歩む道があくまで悪いといっているわけではない。

そんなこんなで、今こうしてタイで生活しているわけであるが、生徒たちをみていると、一人一人が自分らしさを持っていて、生きたいように生きているように感じる。

タイには色々な性が存在する。
私が初めてこの地に来た時、空港に迎えに来てくれた先生はレディボーイだった。見た目では全く分からなかった。
私の学校で初めて日本語能力試験の5級を取得し、大学でも日本語を専攻しているからと、毎週日本語を勉強しにくる大学生の男の子はゲイである。周りにも自分は男の子が好きだと言っている。
学校で七夕の劇をすることになった時、彦星役の中学生3年生の男の子は50%レディボーイだった。神様役の男の子に至っては100%レディボーイだった。
逆に、女の子で女の子と付き合っている生徒もいる。その子はfacebookのrelationshipに公表もしている。

私は22歳の誕生日を、ドラァッグクイーンを見たいがために新宿2丁目で迎えたが、彼女たちはそこに行かないと会えない存在であった。それは、彼女たちの活躍できる場がその時は新宿2丁目に多かったからである。
日本では、以前よりは性に対する見方が変わってきたものの、私自身も、大学で東京に出てきていろんな世界に触れることがなければ、偏見を持つ一人であったかもしれない。

そんな性を持った人たちがタイには生徒の中にも先生の中にもたくさんいて、でもそれはタイでは普通のことで、それを隠さずに自然でいられる、偏見を持たずに接しられるって、なんて素敵なことなんだろうと思った。

"自分らしさ"につながるであろうことが、もう一つある。

私がまだきたばかりの頃、生徒たちの名前と顔を早く覚えるために、自己紹介の紙を書いてもらった。
日本では、大体同じような内容、デザインが想像できるが、タイの学生は、友達と座っていても自分自身のデザインを描いた。同じデザインや色合いは一つもなく、私はとても感動したことを覚えている。

そう考えると、

見たもの感じたものに影響されながらやりたいことをやる

のが今の"わたしらしさ"なのかもしれない。
むしろ、この環境にいるからこそ、もっと思っていることを素直に発言したり、気遣いしすぎずに過ごしてもいいのかもしれない。

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