さユりさんへ
9月27日金曜日
連日の残業続きで疲弊している私の元へ、悲しいニュースが飛び込んできました。
前夜、明日は残業だから!と夜のうちからお弁当のおかずを仕込んだお弁当は衝撃のあまり殆ど手をつけずに終わってしまった。
酸欠少女さユりさんとの思い出を少し語ろうと思う。
息子は幼児期はさほど手のかからない子供であったものの、小学生になった途端一言で言うと育てにくい子供であったと思う。
自我が強く、親の言いつけはたいして守らず自我の欲望を優先しがちな子供でした。
私は色々と試行錯誤しながら子育てをしておりました。
息子が中学生になった頃、表向きはちょっと悪い仲間ともつるみながらも本質的には大変穏やかでアニメや漫画やゲームの好きな現代的な少年に育ち、表向きはチョイ悪友達とも学校ではつるみながらも本来の趣味合う友達と休日は穏やかに遊ぶような状況。
中学生時点では「これが反抗期なのかな?」と思うような行動も見せ(実際には高一の時が本格的な反抗期ではあったものの、この頃の私は知るよしもせず…)
本人曰く、本当の友達を守る為にチョイ悪友だちともつるんでいたとの事。
それまで特に「推し」と言えるような存在を作ってこなかった息子がはじめて好きになったミュージシャンが酸欠少女さユりさんでした。
漫画やアニメやゲームに詳しくない大人の方にはご存知無い方の方が多いかもしれません(殆どTVにはでなかったので)
ここにさユりさんを知らない方へ
タイアップした作品を紹介します
乱歩奇譚のED「ミカズキ」
僕だけがいない街「それは小さな光のような」
消滅都市「アノニマス」
スペースシャワーTV「フラレイガール」野田洋次郎提供曲
クズの本懐「平行線」
モード学園CM「十億年」
Fate「月と花束」
ゴールデンカムイ「レイメイ」
僕のヒーローアカデミア「航海の歌」
クリーム玄米ブランCM「ねじこ」
イエスタデイをうたって「葵橋」
東京奇怪酒「かみさま」
エデンズゼロ「世界の秘密」
リコリスリコイル「花の塔」
TVには殆ど出演はされませんでしたが、人気のアニメやゲームやCM曲などを手掛け若者には絶大な人気を博した方です。
第1次反抗期だった息子が「今日、柏の葉にさユりさんが来るんだよね…」と私に呟いた事がきっかけで我が家は全員…息子の祖母である私の母、夫、私、息子の4人でららぽーと柏の葉でさユりさんのミニライブを見に行った事があります。
反抗期(だと思っていた)息子が久々に甘えた!……!!とあって私も夫も喜び勇んでららぽーと柏の葉に連れていったのです。
ステージ上のさユりさんは、153cmの私よりも小さく母と同じくらい(148cmくらいかな?)の背丈でさらに非常に細く!小さく!
本当に小柄な体からは想像つかないくらいの声量、ソウルフルな歌声でファンである息子は当然の事ながら私や夫や母もファンになるくらい魅力的な歌声。
家族全員でさユりさんを見に行ったその1回の思い出を、私は一生忘れる事は無いでしょう。
中学生だった息子が単独で新宿タワーレコードにさユりさんを見に行った事も忘れられません。
皆さんご存知の通り、新宿駅は迷いやすく見に行く数週間前から「新宿駅はダンジョンだぜ?」「駅から出られるのか?」「大丈夫?」「遭難するんじゃないか?」「歌舞伎町には立ち入るな!お前は多分その手の方に好まれる!」と心配しすぎて息子に笑われた事を昨日の事のように思い出します。
遭難せずに無事にさユりさんに会えて、ウキウキしていた息子を思い出すと今でも自然と笑みがこぼれてしまいます。
思い出の中の楽しそうな息子の笑顔とさユりさんはワンセットなのです。
家では息子が一番のファンではありますが、私もさユりさんに魅了され息子がCDを持ってるのに私も個人的に購入するくらい大好きなシンガーソングライター。
子育てを通し、母としても辛い時期を共通の話題で冷めた家庭にならなかったのはさユりさんのおかげなんですよ。
どんな時も育児のそばにさユりさんがいて、難しい年頃の息子と会話を交わすきっかけとなったさユりさん。
今年ご結婚された時は、息子に「大丈夫?推しの幸せを願って喜ぶ事が推すの方側の鏡だぜ?」と話した事も記憶に新しく…息子は「全然大丈夫、さユりさんが幸せならオレも幸せ 」と言っており家族全員さユりさんのご結婚を心から祝福しておりました。
梅雨の時期には中国ツアーも成功されて、ご本人も「次は日本でツアーをするよ」と言うような発言もされており、日本でのツアーは息子も参加出来るように楽しみにしていたところでした。
7月の…さユりさんご自身から「機能性声帯障害」による活動休止には、息子はもちろん私たち家族全員が1日でも早くさユりさんの病気が癒えるように願っていました。
そして今日。
息子は一言も話さず、食事もとらず部屋にこもりきり。
私も小学生の時に今で言う推しを事故で亡くし、連日泣き明かした過去があります。
推しを亡くした過去があるだけに息子の気持ちを思うと涙がとまりません。
推しの死から立ち直るには時間がかかる事を私は既に経験済みなので、暫くは息子のケアを優先に日々を過ごそうと思っています。
ネット上で噂されているさユりさんのお亡くなりになられた理由は、私はそうとは思えず….。
ご結婚されて間もない事、中国ツアーでの満足したご様子や声帯を痛め休養中のリハビリで、その中でも楽しさを見出しているご様子や日本でのツアーへの意欲。
休業中でも楽しさを見出そうと運転免許を取得しようとされていたご様子に、ネット上での臆測は違うのではないか?と思っています。
ご主人様であるアマアラシさんのコメントにもあるように、持病と戦い抜いたのだと思っています。
さユりさんは私の育児のパートナーでもあり、私の心の拠り所でもあり、勝手ながら戦友だと感じています。
さユりさんの歌詞から、歌声から色々なものを頂きました。
足を向けて眠れないくらい心から感謝しています。
奇しくも9月20日は夫の誕生日でした。
その日、私は夫の為にケーキを作り息子や母と共に夫の誕生日を祝いました。
さユりさんの曲でbirthday songという曲があり、その歌詞の中に
「今日は誰かの誕生日で
そして同時にあなたの命日です
ふとした時に思い出して
そして
いつかは忘れてしまうでしょう」
と言う一節があります。
ですが私たち家族は毎年、夫のお誕生日を祝う度にさユりさんの事を一生涯忘れる事はありません。
誰かが産まれて
誰かが死ぬ
それは毎日繰り返されている事。
人が死ぬ時
自分を覚えている人が居なくなった時だと思うのです。
少なくとも我が家は母、夫、私、息子…その命が尽きるまで…さユりさんは私たち家族の中でずっと生き続けます。
ありがとう。
さユりさんと出会えて良かった。
辛かった育児の一筋の光でした。
さユりさんの方からは全く知らないただの一家族なのですが助けてくれてありがとうと言う気持ちでいっぱいです。
この涙が尽きる日は来ないかもしれません。
だけど、ずっとさユりさんの歌を聞き続けます。
さユりさんが生きた証と共に、我が家の歴史を忘れる事なんて出来ませんものね。
今はただ安らかに。
心からのありがとうを何万回でも呟きながら。
息子同様、私もさユりさんを愛しています。
貴女に会えて良かった。
さユりさん
来世で会いましょう
今はゆっくりとおやすみなさい。