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asage

月曜、午前7時28分、昨夜は雨だったがすっかり止んだようだ。パンパンになった可燃ゴミ袋を2つ無理やり左手に持つ。右半身はミントグレーのキックボードに預けるために空けておく。遮光カーテンが効果的な室内から一歩外へ出ると町はとっくに朝を開始している。体感としての外気19度を味わう。さっそく足早な30代後半のスーツの男をキックボードで軽快に追い抜くと、優越は1.5倍になる。寺の前の回収スペースにゴミ袋を置いたらもうやるべきことは終わってしまい、あとは優雅な朝の貴族となる。
今日は近くのパン屋に行ってから帰ろう。なだらかな斜面を降ればすぐなのだけど、雲の切れ間から差したり消えたりする光がやけに坂の上の方を照らすことが気になる。仕方がないので少しだけ上ってみようと地面を蹴ると、あちこちに設置された植木や壁面に咲く植物が異様に存在感を持つことに気がつく。吸い寄せられるように近づくと、その表面は昨日の雨を溜め込み光を放っていることが確認できた。今この近辺にある全ての植物に同様のことが起こっていることがわかると、もう景色が変わって見える。視界の近影と遠影が結びつき、解像度が同時に上がったような、意識が拡大された実感を持つ。そうすると今度は音が聞こえてくる。足を止めた塀の向こうは保育園のようで、朝の挨拶がひっきりなしに聞こえてくる。保育士は大人と子供で「おはよう」のトーンを明確に使い分けていることがわかる。
自分の感覚が町の朝に溶けて行く。その中をミントグレーのかっこいいキックボードで速いとも遅いとも言えないスピードで通過すると、何か傍観者として朝を浮遊する不思議な体験ができることに気がついた。そこからパン屋まで少し大回りに向かうことに決める。
兄妹か幼馴染かわからない5歳前後の子供の通学を追い越す。玄関を出ようとした瞬間マスクを持ったか母親に確認され引き返す羽目になった男子高校生を横目に過ぎる。ほぼ手ぶらだが確実に弁当だけが入った小さすぎるトートを持つ現場職人風の男とすれ違う。ギャル2人が道で自撮りをしている。花壇の世話をするおばあさん、ゴミ捨てに向かう主婦、やたら人が多いセブンイレブンでコーヒーマシンの順番を待つ人たち。手を繋いで坂を降りていく20代後半くらいの男女を見た時、何故か涙が出そうになった。これが独身自称ミュージシャン男性の羨望と自分への憐れみの涙だとしたら面白過ぎる、と思う。
駅へ向かう人の流れから外れると目的のパン屋に着く。卵のサンドイッチ、粉砂糖をこれでもかと振るったクリームパン、チーズボールなる謎の揚げドーナツ的なものを買う。店内は客もレジスタッフも奥でパンを作っている職人も妙齢の女性ばかりで不思議な気持ちになる。
帰宅、午前8時10分。そこから文章を書くことに決め、コーヒーを入れる。買ったパンはまだどれも温かい。

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