言葉にするにはあまりに
あと7日で今年が終わります。
いつもやりたいことの上位に何か文章を書く、ということはあるのだけど、後回しになって良くない。
それでも月に1本は何かしらの日記なり、歌詞なり、小説風の謎の文章なりを載せれたのでまあ良しとします。
きっとこの年末、それぞれがどんな一年だったかを振り返っていることでしょう。
そんな会話をしていて、僕は自分が何かを断定することについて、とても抵抗があることに気がつきました。
どんな一年だった?
いい一年だった、楽しい一年だった、つらい一年だった。
本当にそんな言葉で括ってまとめられるのか?
いや、みんなそんなことはわかっていて、便宜上伝わりやすくするため、詳細を飲み込んでそう言い切っているに過ぎない。
のだけれど、それは実際のところすごく納得がいかないと、最近よく思うのです。
一年を総括することにとどまらず、ひとつひとつの出来事について同じことを思います。
海外に初めて行った。
楽しかったでしょう?
それはとてもいい経験になったよ。
でも、楽しいという言葉でまとめられるような情報量じゃない。
凄まじいストレスも感じた(それを悪いという気もまたない)。
良き出会いがあった。
それはとても美しいことだけど、なにか悲しい予感もする。
始まったら終わりが来る。
だけどそんな先のことを考える意味があるのか?
そうしてもう会えなくなってしまった人がいる。
美化したくはない。でも過剰に悲しむのも違う。
結局普通に生きる以上のことは何もできないことを知った。
そもそもそんなにドラマチックなことがあったんだろうか?
ゴミみたいなしょうもない日々だと言いたい。
しかしとんでもなく刺激的な人生だとも言いたい。
そんなことを思うと、どんな日々だったか問うことは、未来がどうなるかを予測するのと同じくらい、正確に表現するのが難しいように思う。
自明であるはずの過去も、語る言葉がこんなに見つからないのだなと、そんなことを考えていました。
というもろもろをぐちぐち言いつつ、じゃあ今年はどんな一年だった?と聞かれたら、楽しかった、と答えるより他ありません。
少なくとも、出会って共に時間を過ごしてくれた人には、本当に感謝しなければと思います。
まだまだやりたいことも言いたいこともある気がするけど、それはこれからにとっておいて、残された仕事を片付けなければ。
年の瀬の話をする前に、まずはメリークリスマス。
良き夜が多く訪れることを願います。
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