見出し画像

周回

地元は宮城県仙台市、18歳まで実家で過ごした。
そのあと隣県の山形で大学生として4年間生活し、関東、関西と徐々に南下していくことになる。
地元に帰ると、自分は子供の頃からほとんど変わっていないことを思い知る。帰省時だけ過去に退行してしまうということではなくて、今現在の自分の振る舞い、感じていることの諸々は本当にずっと昔からあるものだと実感するということである。
そしてそれは当時とても心地のよいものではなかった。家族の仲は良い。田舎だけど特に仙台駅周辺はとても綺麗な街で、友人もいるし、山形も少し変わったけど情緒があって素晴らしい場所だと改めて思った。しかしなぜか早く脱出したかった。とにかく遠くへ行きたいと思ったが、実際に遠くへいくための想像力も情報を集める力もなくて、どうすればいいのか分からず本当にもどかしい日々を過ごした。
だからたまたま知った音楽は良かった。周りの人がそれを知らないほど精神は遠くに行ける気がしたので、はじめはロックやポップスから入ったけど、マイナーそうな空気のあるジャズをふと選んで聴き始めて、そこから音楽のことを考え続ける日々が始まった。自分の音楽を作るのも気持ちよくて、ギターを手に取った16歳からずっと何かしらのバンドを組んで自分の曲を演奏した。それが一番遠くに行く方法で今も変わらない。
そういえばギターを買ってすぐ、ZOOMのマルチエフェクターに10秒くらいのルーパーがついてて、それとディレイや歪みを繋いで演奏してガラケーに録音したことがあった。もちろんそれはもうこの世に無いんだけど、ずっと頭の中に鳴っていて、最近自分の曲をエレキギターで多重録音した音源があるのだけれどそれは当時のアイデアとほぼ同じ録り方というかテクスチャであるように思う。そう考えると移動というのは楕円の衛星軌道みたいに、重量の中心へ近づいたり離れたりを繰り返しているのかもしれない。図らずも当時考えていたノイズもこの曲もモチーフは宇宙と星についてであった。つくづく考えていることは同じ軌道を旋回している。

今回は一年ぶりの帰省で、山形に至ってはもういつぶりか分からないレベルだった。甥が産まれて、父は痩せていた。通っていた居酒屋は潰れて、溜まり場だった軽音部室棟は取り壊されていた。街は変わった気がしたが、結局そこに戻ると自分はほとんど変わっていないことに気がついてなんとも言えない気持ちになる。
悲観的っぽく書いているけどこの実感はけっこう気持ちよくて、たいていの人がそうなんだとしたら日々の一喜一憂とか葛藤とかなんだったのだろうと思って笑えてくるし、だったら明日はどうしようかなという思考も湧いてくるので悪くはない。何かの本で昔のすごい人が「老いに良いことは一つもないから冷静に受け止めてただ生きろ」的なことを書いてたのを思い出す。本当に一つもないかはともかく、そういうあっけらかんとした感じはいいなと思う。だからこの帰省でちょっとエモーショナルになってしまった自分を嗜める意味でこの文章を残すことにする。所詮自分であるということをいい感じの距離感で見つめ直すのに帰省は良い。

神戸へ戻る飛行機の中にて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?