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 ホームセンターで包丁を買った。こういうことから後になって足がつくのだろうか。車に乗り込むとパッケージを取り外して片手で握ってみた。刃先の尖りが既に痛みを彷彿とさせ、手が震えた。タオルで包丁を巻いてバッグに忍ばせる。僕はエンジンをかけた。
 山道を走った。高速道路を使えば一時間とかからない目的地までの道のりだった。それを幾分か遠回りしてまだ辿り着けないでいる。落ち着きが欲しかったのだと思う。
 
 小学生の頃、勉強もスポーツも成績は可もなく不可もなく、目立ちがあったかなかったかは自分でもよく分からない。友達とそれなりに楽しく過ごして、卒業式には子供ながらに寂しくて、まわりで泣いていた女子につられて目元が潤んだりもした。中学に上がると、人間関係は一変した。部活動は小学校のようなレクリエーションの延長ではなく、地方から全国に向かって大会が開かれるような、要は競争になったわけで、僕はバスケ部に所属した。それが全部だった。初めて買ってもらったバッシュを今は何処へやったかも思い出せないけれど、新品のそれはどんな宝石よりも輝いて見えていた。三年の最後の大会直前で怪我をして、僕はチームの健闘を祈ることしか出来ず、結局僕らは全国大会に向けた地方予選で敗退した。この時も泣いていた。ただ、僕の怪我がなかったとしても結果は大差なかったと思う。チームが負けてしまったことは悔しかったけれど、怪我で出られなかったことに悔いはなかった。皆、頑張っていた。コートの外に座っていた僕自身だったけれど、気持ちは試合の中で立てていたように思う。そんな熱狂の後で高校生になってみると何もやる気が起きなくて困った。中学からの仲間はまたバスケをやろうと言ってくれたがどうも乗り切れずタイミングを見逃した。ブラブラと家、学校、ゲーセン、カラオケ、コンビニを行き来するうちにひとりの女の子と仲良くなった。他の友達に混じって僕ら二人でそのグループみたいな中で遊んだ。告白とかはなかった。好きとかも言わなかった。ただ周りが茶化して、それはそれで気分がよくて、僕は彼女を意識していたし向こうもそうだったと思う。けれどそういう間柄が二年くらい続いて、受験が始まるとなんとなく疎遠になり、お互いの進路が決まる頃には会話もなく、卒業の日は一人で家に帰っていた。一度だけ、卒業してから連絡してみたけど番号が変わっていて知らない男性が「違います」と言って電話は切れた。

 山道を抜けると疎らに民家が見受けられた。それでもまだ田畑に囲まれた田舎の風情が抜けず、ずっとそこに留まるのは退屈かもしれないが、僕にとっては懐かしさだった。あの頃よく通った大型のスーパーはパチンコ屋に変わり、それは新しさと呼ぶには古びた進歩で、僕には腐敗のように思えた。かといって今さらワケ知り顔をするようなつもりもない。もう僕はこの町の人間ではないから。車を路傍に停めて蕎麦屋に入った。知らない店だ。何処かの系列店で夫婦がオーナーでやっている、そんな店。かけそば一杯三〇〇円。男性が袋に入った蕎麦を一〇秒あるかないかくらいで湯掻くと丼にあげ、女性が出汁を注いでネギを添えた。値段の味。客は僕しか居なかった。店内ではオリンピックをやるのかやらないのかみたいな議論をやってるワイドショーが流れていて、厨房の二人は会話もなく、客も注文もないのでそれをずっと見ていた。僕は「ごちそうさま」と告げ店を出る。背後で「ありがとうございました」と声がふたつ聞こえた。

 大学時代はただただ遊んでいた。第一志望だった新設の学部に落ちた僕はもう遊ぼうと考えていた。祖父から祝いとして五万貰っていた。当時は手にしたこともないような大金だ。高校卒業間際、親友とその彼女と僕の三人でビリヤードをしに行った。負けた奴が奢りだと言ってボロボロに負けた。手は抜いていない。ただ下手くそだった。祖父からのお祝いを少し減らした。残ったお金で自転車を買った。本格的なスポーツバイクじゃない。見た目だけの安物だ。それを引っ越し先の大学近くで借りた学生マンションに持って行ったが三日で盗まれた。祖父のお金は結局何も残さなかった。
 卒論は特に興味もない教育について書いた。ゼミがそういう分野だったから。わりと文章は得意でテキトーに書いてもそれなりなものになった自負がある。無参考文献を付け足して、口頭試問も当たり障りのないことを答えた。参考図書について聞かれた時は少し焦ったがタイトルから連想する内容で答えた。結果は合格だった。
 就活も殆どしなかった。一社だけ受けて採用されたのでそこで決めた。当時は売り手市場というか採用される側が有利で、とりあえず受ければ受かるような風潮だった。そんなだからか特に興味もなく野心も持てずに一年と待たず辞めてしまう。再就職するまでに半年くらい無職で過ごした。それでも蓄えがあったのでなんとかやっていけた。実家から心配して連絡が来たがそれとなく誤魔化していた。しばらく無視していたがあまりにしつこいので出てみると祖父が寝たきりで殆ど会話も出来なくなっている状態だと知らされた。

 地元に戻ってきたのは祖父の葬儀以来だから五年ぶりくらいだろうか。三十を過ぎて未だ独身ではあるけれど、足りた生活に不満はない。上司は一度くらい経験してみろと言うけれど毎回「一度くらい」がわからない。ダメならやり直せばいい。概ねそういうことだろけれどそれすら面倒に思える。兎角そんな話題が鬱陶しく思えた。車は実家の前を通り過ぎる。目的地はここじゃない。

 高校時代の友達と連絡を取った。リモート通話ってやつだ。お互い面影を残しつつ老けたことを弄りあった。しばらく話すと学ランを着ていた頃と変わらないように感じた。その感覚がもう老いではあったが、会話がこれを暈す。芸として出されればどうしようもないくらいつまらないネタが二人の中では可笑しかった。ひとしきり笑うと話題はあの子の話になった。恋人ではなかったけれどお互いが相手を大切に思っていた。そんなことを先程までは何も思い出さなかったのに、名前を出された途端急に淡い気持ちが込み上げてきた。年甲斐もなく。当時の思い出を語りながら、友人は彼女が結婚して、まだ地元に住んでることを話した。聞けば夫婦生活があまり上手くいっていないそうで、なんでも旦那のほうが暴力を振るっているらしいとフワッとした話し方をした。僕はなんとなく相槌を打っていた。酒も入っていた所為か、友人は突然僕に対して悔しくないのかと問いただす。悔しい? 何が? そりゃあ良くないことだとは思う。知らない仲でもない。けれどもう何年も会ってない他人だ。知り合って遊んだ期間より何倍も顔を見ないで過ごしてきた時間がある。今どんなふうに生きていようと関係ない。僕は捲し立てるように返事をしていた。友人もそれで冷静になったのか「悪りい」と言って話題は変わっていった。僕は寝る前にその会話を思い出しながら、気づくとあの子の今を想像していた。気持ちの悪い妄想だが別に外に出したわけじゃない。顔つきは当時のままで、けれど傍らには夫がいて子供もいる。幸せな家庭を築いていて休みの日は家族で出かけるのだ。僕にはそれが想像力の限界だった。期待だった。希望だった。夫の顔は次第に今の僕になって彼女を冷たい目で見ていた。彼女は怯えている。僕は何の脈絡もなく頬を張った。拳ではなく平手の方が痛くないかもしれないそんな稚拙な感覚でそうさせた。彼女はそれでも泣いていた。僕は実際として彼女が泣いたところを見たことがない。そこで気づくのは所詮そんな関係だったということ。考えてもみれば僕一人が浮き足立っていたのではないか。周りに囃し立てられてその気になっていただけではないのか。目が冴えてしまった。

 友人から聞いた住所の近くにまで来た。僕は何をやっているんだか自分でもよく分からなくなっていた。ただバッグの中にはタオルでくるんだ包丁が入っていて、車内から一軒の家を見つめていた。玄関扉が開くと僕は前のめりになって目を見張る。男が出てきた。想像していたより痩せ型でどちらかと言うとひ弱な印象を受ける。次いで小さな女の子が現れた。女の子は嬉しそうに男の足元に抱きついた。最後に彼女が出てきて扉の鍵を閉めた。僕はバッグに手をやってタオル包みを取り出す。手だけじゃない肩も脚も震えていた。心臓もバクバクと脈打つ。三人は女の子を間にして仲良く手を繋いで歩いていく。後ろ姿なので彼女の顔は見えない。なのになぜ、頭の中でずっと助けてと言ってくる。僕はタオルを解いて包丁を握った。ドアに手をかける。震える手、三人家族、包丁、助けて、助けて、助けて。
「うわああああああ!!」
 何度も頭をハンドルにぶつけた。目眩がする。もう三人は見えなくなっていた。僕は包丁を包み直した。それをバッグにそっとしまうとエンジンをかけて来た道を引き返す。日が暮れ出す頃、昼前に立ち寄った蕎麦屋が見えた。
「いらっしゃいませ」
 二人はもう僕のことなど覚えていなかった。

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