生活保護の在り方

前回、私の病歴の始まりを書いたわけですが、、、

現在どうなの?と思われる方ももしかしたら居られるかも知れません。

結婚やら出産やら離婚やらの挙句、生活保護で生きています。


きっと誰も読んでないと思ってるので、ちょっと口汚く(ちょっとじゃないかも知れません)愚痴を吐かせてもらいます、、、


私は働きたいです。普通の健康な人と同じように働いて、同じように日常生活を送って「自分の稼いだお金で」「堂々と人生を送りたい」です。


生活保護費をあたかも給料のように「受け取れるのが当然」「毎月振り込まれるのが当然」、何なら少しでも病状を重く診断書に書いて貰って、障害年金も出来るだけ多く支給されるよう画策してる人達も知ってます。


でも、それが可能な福祉の在り方にも問題はないのでしょうか?

診断書を書く医師、常に生活保護受給者と向き合っているケースワーカー、、、

精神障害者に限って言えば、決して患者だけが要因とは思えません。

「家事が出来ない」←面倒くさいからやりたくない。

「夜眠れない」←睡眠薬を増やしてもらう。

「光熱費が浮くから、食事がただになるから」←暇つぶしにデイケアに行く。


そんな精神障害者を多く見ました。

彼らはもう「働く意欲」などなく、見も知らない人達の労働によって「生活をさせてもらってる」感謝すらありません。

薬剤一つ増える事が、ホームヘルパーに来てもらう事が、食費や光熱費を浮かせるために通ってる通所サービスが、「骨身を削って働いてくれてる人達」の賜物である事すら思い至っていない。


もしもそこに感謝があるなら、今回の「自粛」に対して、不平不満を抱くより、「通院以外は不要不急なのだから、せめて働いてくれてる人々の為に自分に出来る事はステイホームじゃないかな?」と思いを馳せる事が出来たと思います。


けれど現実は四月半ばになっても「三密って?それ何ですか?」と、自分は社会の一員である事すら放棄しています。


生活保護受給者のどれほどの割合かはわかりませんが、「毎月一定金額の収入(支給とすら思っていない)があるのが当たり前」と思っている人達が居るのは確かです。

自分自身、生活保護受給者ですが、少なくとも働いて税金を納めてくれてくれている多くの人々に感謝の念を忘れた事はありませんし、出来る事なら「自分に支払われている医療費も含めた生活保護費を減らして行く事が、働いてくれてる人達の負担を減らし、本当に生活保護がなければ生きて行けない人々を救う事」に繋がる事だと、生活保護受給者にしっかり考えて欲しいと思っています。

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