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日本独自な認知症カフェ

実はこの記事は、コスガ聡一さんの「反・認知症カフェ論」を読んだ感想として書いたモノです。https://note.com/sokosuga/n/nee47ba36a51f

ヨーロッパで始まった認知症カフェとする場面をTVにて拝見して、認知症と診断された当初に、日本の認知症カフェの主催者や参加している家族さんと話していた時、私に対して家族さんからこのようなお話をされたことを思い出します。

日本の認知症カフェは、地域で開催されています介護サロンでは、認知症特有の症状から、話が合わなかったり、助言をいただいても参考にならなかったりすることが多いので、認知症の家族介護者同士で集まれる場所が欲しいと社協や行政に対して相談した時、そんな時に認知症カフェという制度が政府が広め始めて、そんな認知症の介護をする介護者同士が日頃の悩みや困りごとを話し合い、また、喫茶店やレストランや食堂では、進行して情緒不安定な本人を連れてのんびりと食事もできないという悩みもあり、そんな思いが全て、認知症カフェという場所があることで解消できたのです。

ヨーロッパでは、店舗スタッフの理解があるかもしれないが、まだ日本では店側への迷惑行為とした遠慮から、ゆっくりくつろげる場所とはならず、本人も家族もそうそうに立ち去らねばならないという状態なので、ヨーロッパの様な考え方を日本に当てはめるのには無理がありすぎますね。

日本では、認知症家族介護者が寛げる場所を認知症カフェと呼んでいるのだと私は思っています。

と本人の居場所とした私の考え方は、あっさりと却下される形になりました。
逆に本人には、専門職が対応することで、楽しく出来ていますよ♪とまで言われてました。

丹野さんもそうした日本独自の認知症カフェと、ヨーロッパで観る認知症カフェのギャップで悩まされてきた方だと思います。

ヨーロッパのように街のカフェで認知症と診断された方同士が一日中寛げるお店が増えれば、認知症カフェという名称は要らないんだと思いますね。

それでも残すならば…認知症特化型介護サロンが適切だと私は思っています

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