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時々見かける認知症の説明

医学を学んで来られる医師の方、看護師の皆様、介護士の皆様、作業療法士の皆様より、認知症とは⋯云々という話をよく目にする機会があります。多くは医学書に描かれた認知症を説明されます。中には認知症サポーター養成講座のテキストそのものの説明を目にすることがありますね。

認知症サポーター養成講座を受講したことのある方々は、必ず目にしたと思います記憶の例えをイソギンチャクを使って説明されてるあの絵です。
イソギンチャクの食手で情報を捕まえて壺にその情報を貯めこむってやつです。認知症になると、その触手が縮んで、情報が捕まえれなくなる、ツボが浅くなり、捕まえた情報が溢れ落ちるってやつです。

あの認知症サポーター養成講座のテキストって途中で改変されたのは名称が痴呆症から認知症に変わったくらいで、それ以外はほぼ変わってないんですよね。医学書の縮図とでも言える内容なんですね。多くの医学部に通う方々が習っている医学書の中の認知症とは?という説明なのです。

今は令和な時代

医学書の中では、100年以上の研究の結果導き出された論文を元にした認知症観が描かれています。多くの研究の参加者の皆様の命がそこへは描かれているのです。だから間違いでは決してないのです。被験者な認知症と診断された方々が最初に初診で病院にかかられた時点で、既に脳組織が顕著に萎縮した状態の方だけを研究対象として診て来られた研究結果であるという現実がそこにはあるのですね。前頭側頭葉編成症の本人の方でも、医療の前に受診した方の脳を視ると、脳組織が萎縮している方しか私は診たことがないと言われるほど、特異な状況です。

今、病院へ初診でかかられる方の中でも、本人が自ら受信する場合の多くは、認知症の専門医ですら診断できないほどに脳萎縮が確認できない人が多いですから、昭和な時代の認知症観を令和の現代に当てはめるのは、無理があるのではないでしょうか?

でも、今も尚、多くの認知症とはこんな病気!と解説している人の多くが、昭和の痴呆症の時代の重度認知症の方々を説明されているので、そんな説明に金を払うのは勿体ないと感じるのです。

またそんな重度の認知症の状態だけを認知症だと間違えて認識させてしまう検索結果で、死をも考えさせてしまう投稿の多くの被害者を、少しでも減らしたいと、認知症と診断された先輩達は語り続けるのです。

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