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人為的怪文書

 怪文書とはそもそも,発行者が不明であり信憑性の薄い文章のことを指す。しかし今日,どちらかといえば文意の掴みにくい出鱈目(に見えるよう)な文章についてそのレッテルが貼られているように感じる。怪しい文書と言ったところだろうか。
 「異常でありたい」という欲求を表立って掲げるのは随分と気恥ずかしいのだが,正直に告白するとこの欲求は確かに私のうちに眠っている。平平凡凡と思われたくない。正負を問わないから一目置いてほしい。そんな欲求を文章にも適用すればこそ,私は現代の意味での怪文書を好むのである。
 では怪文書はどのように生成されるのだろうか。怪文書生成のプロセスについて,大きく二分されると私は考えている。①自然発生的生成と②人為発生的生成である。

①自然発生的怪文書

 言葉とはそもそも何であろうか。かつての巨人が何度も挑んできたこの問にここで答えを出そうとするのは無謀であるように思えるため,怪文書に関わる点だけに絞って検討することにする。
 我々はある現象を目の前にしたとき,己に付属している感覚器でその現象を体内に取り込む。受容された現象に関する情報は脳に送られ,一定の解釈がなされる。例えば赤い大きな風船が目の前を漂っており,誰かが爪楊枝でもって風船に穴を開ける。一瞬の破裂音の後,先程まで目前を浮かんでいた風船は跡形もなく消え去り,床には皺ばんだゴム片が散乱している。この現象を経験するとき,視覚や聴覚で風船があること,風船が割れたことなどを解釈するのは当たり前すぎて言うまでもないかもしれない。また爪楊枝を突き刺した某の表情によっては,悪戯心をもってその行為を行ったのか,あるいはやり場のないストレスの矛先を風船に向けたのかという行動そのものの意味についても解釈できるかもしれない。いかんせんこれらの解釈はすべて現象を前提にしており,現象なき解釈はありえない。
 また解釈の過程において見過ごせない操作として,捨象が挙げられる。現象はミクロにまで寄って考えるととても出力できるものではなく,マクロに考えたとてさほど結果は変わらない。総体としての現象であってもそのすべてを記述することはできないのである。そもそも感覚器にしても,注意という機能によって大部分が除かれている。つまり現象を記述(=言語化)しようとする際には幾多の捨象を経なければならないという訳である。「言葉にできない/ならない」などの表現をするとき,我々は言語化を諦めている。あるいは捨象したくない要素が多すぎてエラーを吐いている状態とも捉えうる。
 怪文書の話に戻るが,ここで言葉は現象を圧縮した状態と捉えることにする。現象.zipを.txtで開くという行為に近い。そのエンコードの仕方には多少の個人差が存在し,これをいわゆる「文体」と捉えてもらっても構わない。エンコードの際に選択する語彙や着目する点などによって出力される文章は異なるだろう。文章を読むことはこのエンコードされたテキストファイルを元のファイルにデコードすることに他ならない。発信者のエンコードと受容者のデコードの乖離にこそ,自然発生的な怪文書生成プロセスが隠されている。平均的なデコードの方法を用いたとしても,エンコードが異常であればほとんど誰も復元できず何を書いてあるか(=何の現象に関する記述なのか)分からなくなってしまう。また平均的なエンコードを施したとしても,受容者のデコードが壊滅的に下手であると復元は断念せざるを得ない。高尚すぎる文章を読んでも何の話をしているのかいまいちピンとこないのは,エンコードの負うべき責めもあるだろうが我々のデコードにも問題があるのかもしれない。とにかく,エンコードとデコードの乖離が過失により発生した場合,一般に怪文書と言われるものが生成される。この場合の怪文書は生まれながらにして怪文書であったわけではないのは,私の稚拙なエンコードに対してデコードが成功した(またはパッチを当てたのかもしれない)諸君なら理解できただろう。

②人為発生的怪文書

 ここまでを理解してもらえれば既に登頂には成功しているといえるため,あとは下山するだけである。人為的怪文書とは,生を受けたその日から怪文書なのである。怪文書として生み出され,怪文書としてその生を全うし,やがては電子海の藻屑と化す。何故なら人為的怪文書は,故意にバグのあるエンコードを行うか,そもそもの現象がバグを孕んでいるかのどちらかなためである。いくらデコードを試したとて,乖離は必ず生まれてしまう。したがって万人にとっての怪文書が生成されるのである。では以下より具体的なバグの作り方を見ていこう。

バグ1:比喩

 比喩というエンコードは,通常の使い方においてもかなり危険な方法である。現象を捨象する過程において,記述する内容そのものを類似する別のものにすげ替えてしまうからだ。このすげ替えが上手ければ多くの人に認められる美しい文章になるだろうが,現在我々が目指すべき目標の方向性は真逆であるため今は無視しよう。とにかく,的の外れた比喩を創作することに腐心してほしい。
 先の風船の例を適応すると,

空間の面皰はふてぶてと漂っており,まるで明くる日に予期せぬ予定が組み込まれた少年のようである。彼の父は叱責という名の棘を向け,消失たる波及は全人類の揃った「pa」の発音を運ぶ。年老いた少年は床に伏す。

なんだか出来の悪い聖書のようになったが,ともかく怪文書たる性質は多少備えているように思える。先の例を見る前にこの文章を読んでも,よもや風船が割れる描写だとは思うまい。

バグ2:夢

 頼りないシナプスの連結による夢は,怪文書を作るのにもってこいである。この現象を記述しようとするだけで,怪文書基本のキは抑えられるだろう。

エスカレーターの,地面と平行な部分だけを切断して軽トラックの荷台に載せ,クリスマスの真反対である6/25に,夏休みの宿題の計画だけを立てて実行しない,PDCAサイクルのDで足踏みをしている少年に軒並み配ってゆく。

夢が面白くないと判断した場合は,ある程度ベースにしつつ適宜 嘘を混ぜていこう(先の例ではエスカレーター~軽トラックの部分までは実際の夢,あとは嘘である)。

バグ3:異常の正当化

 異常性はバグの根幹と言っても過言ではない。その異常性を正当化し,あたかも読者側が異常であるかのように振る舞うそのさまは更なる異常性を醸し出すことに一役買うだろう。

今日コンビニに行ったんだけど,商品を手にとった客が揃いも揃って律儀にレジに並んでたからチキン肌。まだ通貨なんか使ってやがんの。財布なんか行きのゴミ箱に捨ててきたし,国が勝手に決めた価値にまだ縛られてるなんて可哀想な人たち。

このバグは自然発生的怪文書でもよく見かけるため,かなりリアリティが増す。リアルすぎて周囲に誤解を与えかねないので,自己責任でお願いします。


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