美しい人
ボクは政治家や芸能人のスキャンダルの記事をつい読んでしまう俗っぽい人間ですし,「興味本位」だけで取り上げられた内容のニュースにもつい反応してしまうただの小市民です。
もちろん,そのことは名もなき庶民として恥ずかしいことではないかもしれません。
でも,そんな世の中の諸行無常にばかり気をとられて,身のまわりにある本当に気づかないといけない価値のある出来事や考え方を見逃してまうのは,名もなき庶民としてとてももったいないことですね。
ごく最近ボクがあらためてそのことを痛感した出来事を書いてみます。
ある女性のひと言にハッとした話です。
* * *
彼女はボクが仕事先で出会う女性。たぶん三十代なかばで,小柄でとくに美人というわけではないけれどいつも目に愛嬌のある笑みを浮かべた感じのいい人。
人あたりが良くテキパキと仕事をこなしているけれど,ワタシ天然でよくポカやるんですと才女タイプじゃないアピールを本人はときどき口にする。実際かわいいポカがたまにあったりするし。
その日は昼ごはんのお弁当を買いに行った近くのスーパーで彼女と偶然にバッタリ。
彼女に会ったのは乳製品のコーナーで,彼女はヨーグルトを物色中。お気に入りの品があるらしい。
彼女がそのヨーグルトを手にしたとき,ボクはもっと賞味期限が長いのが棚の奥にありますよと進言。
すると彼女は言うのですね。
「わたしこっちで良いんです。売れ残ったらかわいそうですから」と。
一瞬ボクは何のことだか理解できなかった。
ウレノコッタラカワイソウデスカラ。
彼女がヨーグルトを手に持ったままにっこりとボクを見ている時間は一瞬のことだったけれど,ボクのアタマの中では彼女の言葉とほほ笑みをつなぐ「価値観」がわからず,時間は永遠のように止まって感じられた。
そうか,そんな考え方や感じ方があるんだと,少し間をおいてようやくボクの意識が地上にもどってきたときには,彼女はもうレジの方に歩き出している。
「かわいそう」という彼女の表現は,ただ食材がムダに廃棄される未来をボクに伝えるだけではないのですね。
自分さえ鮮度の高い食材が手に入れば良いとボクが考えていること,それは自分は世渡り上手だと無意識に思っているボクの心の奥深いところにあるエゴイズムに由来する考え方であることを,柔らかい言葉で教えてくれる言いまわしでもあった。
彼女の視点は,自分だけの幸福ではなくて,棚の上のヨーグルトをあとから手にとる人の幸福も,それからヨーグルトの幸福も,もちろん牛や工場の人の幸福もあたたかく包みこんでいる。
そして何より,その優しさが彼女自身を包みこみ,彼女が生きる道をおだやかで心やすらぐものにしている。
ボクは...自分だけの幸福にしがみつき,あとからくる人やヨーグルトや牛や工場の人のことは忘れてしまっている。
そっか,こんなふうに考えて生きている人もいるんだ。
ボクらはスキャンダルや不幸な出来事をあまりに多く目にしすぎていて,自分たちにとっての本当の知恵を見失ってしまい,みんなで幸福になるための小さな積み重ねを怠りがちなのかもしれない。
でも,彼女のように賢く優しく日常の中でみんなの幸福を願いながら暮らしている人もいる。
彼女は独身だけれど,彼女と結婚する人は幸運だなあ。どんなときもお互いの幸せを大事にして生きていくんだろうなあ。
スーパーを出たところでまたにっこり微笑んでボクに小さく会釈した彼女を見ながらボクはそう思ったのでした。
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