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エビデンスとナラティブのハザマで④~エビデンスという凶器~

【過去記事】



エビデンスブームがきた

『エビデンス』ということばは、医療分野ではよく使われるようになった。

一般には、医学および保健医療の分野では、ある治療法がある病気・怪我・症状に対して、効果があることを示す証拠や検証結果・臨床結果を指す(Wikipedia)


いまでは普通に使われ、皆が知っている言葉だ。
でも、20年前は最先端の考え方だった(厚労省がEBMにもとづいたガイドラインなんて言い出したのが1999年だ)。

広大な宇宙のような医学のなかで、どこかに足をつけていないと不安でたまらない僕のような、『よりどころがない』『吹けば飛ぶような』『なんちゃって専門医』にとっては重要な足がかりに思えた。

エビデンスで『正しい』ことが『正しい』というブームがきたのだ。


『正しいという思い込み』は、時に人を傷つける凶器にもなる。


『医学的に正しい』ってなんだろう?


長く医師をすると、『医学的に正しいと思っていたこと』が塗り変わるときだってある。

医師になったばかりのときにはバンバンつかっていたテオフィリンも、ほとんど使わなくなったし、除去食が正しいと思っていたのに、いまは食べる話をしていたりする。

『正しいこと』は、明日には『もっと正しいこと』に塗り変わるかもしれない。


エビデンスは、『〇〇しなくちゃいけない!!』と言う、相手を傷つけるツールになりがちだ。


僕も、そんな話をしたことは何度も何度もある。

そして、沢山、失敗して、人を傷つけてきた。


『正しい』は自信を生み、他人を攻撃する口実を与える。それが、最終的に患者さんの益になると思った言葉だとしても。


そういえば、銀英伝でも、『正義の味方と悪の権化が戦争するけじゃない、正しいと正しいがぶつかるから戦争になるんだ』みたいなことをいっていたな。

銀英伝すげえな。


エビデンスは、自分の立ち位置を決めるツールにすぎない

エビデンスが武器ではなく、沢山あるツールのひとつにすぎないことに気づくのには、沢山失敗した後だ。


エビデンスは、自分の立ち位置がわからない自分自身が、
どこに立っているのかを決めるツールのひとつにすぎない。


そこにたどり着くのに、ずいぶんかかっている。

僕は、効率を考えてからなにかを開始するほど賢くない。こつこつ続けることだけはできる。

こつこつというと、なんだか聞こえはいい。


そういえば、効率重視の姉が、


『あんたは、才能ないよ。
でもこつこつ努力することだけはできる。』


なんて言っていたな。その通りだ。なにも言い返せない。


そうだ、才能はない。でも毎日、1日1本、論文を読もう。

ツールをひとつひとつ手に入れよう。


『最良のなんちゃって専門医』になろう。


そう考えていた時期に、転機が訪れた。


(続く)


noteでは、ブログでは書いていない「まとめ記事」が中心でしたが、最近は出典に基づかない気晴らしの文も書き散らかしています(^^; この記事よかった! ちょっとサポートしてやろう! という反応があると小躍りします😊