エビデンスとナラティブのハザマで③~囚人の穴掘り。~
【過去記事】
重症アトピー性皮膚炎の津波。
少し時間軸は遡る。
気管支喘息に対する治療は、吸入ステロイド薬で戦況が大きく変わっていた。
それははじめてペニシリンを手にした医師達の気持ちだったかもしれない。
(もちろん、ペニシリンがその後耐性菌により万能感が薄れたように、吸入ステロイド薬もまた、万能ではなかったのだがその話は別の物語、、、)
実は、その時期、気管支喘息以上に、重症アトピー性皮膚炎のお子さんが増えている時期だった。
1992年に ニュースステーションでステロイドバッシングの番組が放映され、多くの方がステロイドに懐疑的な目をむけていた。
はじめてガイドラインが作られたのは1999年だ(僕が医者になったのは1998年)。
もしかすると、もっと凄い嵐が世の中では吹いていたのかもしれない。
そう、実は世の中には沢山の重症アトピー性皮膚炎があふれていたのだと思う。
しかし、『なんちゃってアレルギー専門医』の僕のところには来なかったのだろう(当たり前だ)。
しかし、徐々に、多くの重症のアトピー性皮膚炎の子ども達が押し寄せてくるようになった。最初の1滴は、徐々に濁流となっていった。
突如あらわれた津波のようだった。
今では少なくなった、低蛋白血症を起こしたり、電解質異常になっていたり、発達が遅れたり、ありとあらゆる重症のアトピー性皮膚炎の子ども達。全身の皮膚が硬く厚くなったまま、大きくなった子ども達。強烈なステロイド忌避の方も沢山いた。
おそらく、それまではそれぞれの病院やクリニックが分散してかかえていたであろう子ども達だったのだろう。すさまじい数の患者さんだった。
無知はひとを横柄にする。
僕が働いていた地域は、陸の孤島といえるような地域だった
卑下しているのではない。地方の三次病院は、それ以上の後方病院はないということを意味する。逃げ道はない。
そして、聞くことのできる相手は、いない。
後がない『なんちゃって専門医』と重症アトピーとの戦いは、唐突にはじまることになった。
多分、今ならもうちょっとうまく治療できただろう。
しかし、いまでは常識となりつつあるプロアクティブ治療は、1999年に成人で初の報告があり、2002年に小児を含めた報告がはじめてされたという最新の治療法だった。
その治療法を論文や教科書から取り入れたものの、僕には知識も経験も、何もかも、足りていなかった。
ステロイド外用薬をどれくらいの量、どの強さで、どれくらいの期間、使えば良いのか?
洗う?洗わない?
保湿剤の使い方は?
小児適応がおりたばかりのプロトピック軟膏をどうつかうのか?
食物アレルギーをどう考えたらいいのか?除去食?
知識も経験も、そして自信もない医師はどうなるだろう?
尊敬するふらいと先生のTwitterに、ずっと固定されたツイートがある。
そう、知識の足らないひとは、傲慢かつ横柄になるのだ。
当時の僕は、ステロイド外用薬の治療を理由も十分説明できないまま、押しつけていたように思う。
きっと、その時期の僕は、鼻持ちならない医者だったろう。
自分でもわかっていた。それがとてもイヤだった。
僕に治療されている患者さんは不幸なんじゃないのか?
勉強しても、勉強しても、進む道が正しいのか、自信がもてなかった。
こつこつ続けている穴掘りは、端から埋められている気持ちだった。
まるで囚人の穴掘りだ。
これは、歩いて行っていい方向なのか?
津波の中で、そう思い始めていた。
(続く)
noteでは、ブログでは書いていない「まとめ記事」が中心でしたが、最近は出典に基づかない気晴らしの文も書き散らかしています(^^; この記事よかった! ちょっとサポートしてやろう! という反応があると小躍りします😊