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子どもは本来のあなたの姿を映し出す鏡

わが子に接していてイライラやモヤモヤを感じてしまって
「あぁ、わたしはお母さんなのに、どうしてこんなふうに感じてしまうんだろう」と
じぶんを責めてしまうことってありますよね。
今回の記事はそんなときに、感じてみてほしいことを書いています。

中学三年生の息子は昨日の朝から修学旅行に出掛けています。

今月に入ってから不登校氣味だったために『旅行のしおり』を学校に置いたまま。
なのに息子は前日に学校に行けばいいやとお氣楽に考えている様子。

出発前夜になって、「あれがない!これがない!」と言われるこっちにの身にもなってみろってんだ (笑)

「買わなきゃならないものがもしあっても、前日の夜に言われたんじゃ買いに行けないから、今のうちに友達からLINEで持ち物のページを写真で送ってもらいな」と伝えて、持ち物問題はクリア。
便利な時代になったもんだ。

だがしかし!
服装は母も父も本人もしっかり確認してなかったー。

「ジャージでいいんだって」という息子の言葉を鵜呑みにし
当日の朝、集合場所に送って行ったら
ズラッと全員制服!

それでも息子は「しおりに書いてあったもん!」と言い張って、ジャージのまま出掛けて行きましたとさ (笑)

「ちょっと痛い思いをして、自覚すればいいんだわ」
などと親としては思うわけですが、たぶん息子は意にも介さないんだろうなぁ…

幼い頃からまわりの反応にも我関せず。
「オレは空氣読むとかできない」と豪語するマイペースを超えた『マイワールド』な息子に、どういうわけかわたしたち両親も友達も学校の先生も、みんな巻き込まれてしまう。

けど、そんな息子の『マイワールド』っぷりにわたしはいつもどこかイライラモヤモヤしていたのです。
そして、その理由に最近ようやく氣がつきました。


そんな息子が羨ましかったんですよ (笑)

まわりを氣にせず、じぶんの思ったことを言いたいときに言い、話したいだけ話し、好きなことを全開でやり、あるがままに振る舞う息子が羨ましかった。

口を開けば鉄道のうんちく話を延々と続ける息子にうんざりすることも多々。
息子の話を聞いてあげられないじぶんのことを責めたりもしていました。

けど、羨ましかったんだと氣がついて
それをしっかりと感じてあげたのです。

あんなふうにまわりを氣にしないで生きたい…
好き全開 遠慮なし!で生きたい…
って。

そしたら、思い出したのです。

わたしも幼い頃はそんなだったわ!
なんなら、自覚がないだけで今もけっこうそうなのかも?

と。
もしかして本来のわたしは息子みたいな『マイワールド』人間なのでは…
じぶんを『繊細さん』だと認識してたけど、もしかしてただの思い込みだったんじゃないのか?(笑)

「どうしてわたしからこんな息子が生まれたんだろう」とずっと不思議に思っていました (笑)
けど、わたしが抑え込んでいた本来の姿を、ずっと映し出して見せてくれていたんですよね、彼は。

そのことにやっと氣づくことができました。

そしてもう一つ。
『じぶんに向き合う』ということを
「わたしは好きでやっているのだ」ということをやっと認めることができました。

「なんでいつもこんなことやってるんだろう。深く考えずに生きられたらいいの」と思うことがよくありました。
わたし自身がじぶんに向き合うことを否定していたんですよね。
誰に言われなくても、いつもやってしまうくらい大好きなのに、それを認めていなかったのです。

じぶんを否定することなく、誰に遠慮することなく
好きなこと全開の息子にモヤモヤしていたのは、そのためでした。

わたしが心の奥で本当は思っていたこと
やりたかったこと
そして、本来の姿
それをすべて息子が見せてくれていたんです。

こちらは出さないように一生懸命抑え込んで生きてきたのに、それを目の前で見せられるからイライラモヤモヤするのですよね。

もしも、わが子にイライラやモヤモヤを感じるときにはほぼ間違いなく
抑え込んだり、認めたくないと思っているあなた自身の姿を映し鏡のように目の前のわが子に見ています。

「これってもしかしてわたし?」

イラっ、モヤっとしたら、
目の前のお子さんを子どもの頃のご自身と重ね合わせて見てみてください。

あなた自身が思い出したいからこそ、
あなたの本質であるたましいがあなたに思い出してほしいからこそ、お子さんが目の前に現れているのですから。

そして、それを認めたとき、不思議なくらいに現実が変わるということが起こります。

わたしも、じぶんの大好きを認めて、「全開で好きでいい」とじぶんに許可したら、なんと!

あんなにしつこく鉄道の話題ばかり振ってきた息子がなんだか静かになって、わたしのほうも息子が鉄道のことを話し掛けてきても、モヤモヤしなくなりました。

わが子に限らず、わたしたちは目の前の誰かを映し鏡にして常にじぶん自身を見ています。
そこにはあなたの過去、現在、未来のいづれかの姿が映し出されているのです。

なかでもネガティブに感情を動かされてしまうようなときには
見たくない認めたくないあなた自身の姿か
あなた自身に許可していない本来あるべきあなたの姿
そのどちらかであることがほとんどです。

イラっ、モヤっは
あたながあなたに向けた「氣づいてよ」のサインですよ。

あなたはどんなあなたでもいい。
認めて許してあげましょう!




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