幸せのハードルなど地に埋めてしまえ
お盆ですね。
動くのもままなりませんが、無性に山に行きたい。
でも山住まいの友人いわく、山も暑いらしい。えぇ…。
さて。
前回の記事からの派生です。
こんなこと書いておりました。
一度処置してしまえば(通り過ぎれば)絡まれることもないのに、つい、振り返ってしまう。
わかる、追いかけてくるんじゃないかって思っちゃう。
どうしてわざわざ嫌な思いをしに振り向いてしまうのかな。
それたぶん、苦しまなければ幸せになっちゃいけないとか思ってる。
幸せになることに条件がついてる。しかもしんどい系の。
苦労することを否定はしません。
でも、「しなくてもいい嫌な思い」をしてる人が多すぎる気がするんですよ。ブロミュリストをわざわざ見に行くのもその一つだと思うんです。
それを見て胸に刻んで…幸せ?
大変な思いしないと幸せになれない、って思い込んでると、ちょっとしたことでも喜べなくなりません?
「いやいやこんなこと程度で」みたいに。
それってすごくもったいないと思う。自分をご機嫌にする機会を自ら潰してる。
幸せのハードル、めちゃくちゃ高くないですか?
まあそのハードル高めの考えって、知らず知らずに親からもらってたりするんですよね。私はそうでした。
でも親の考えに合わせる理由はどこにもない。
朝いつもより元気に起きれたとか
淹れたコーヒーが美味しかったとか
全曲シャッフルの1曲めがお気に入りだったとか
朝開いたTwitterにお気に入りの絵師さんの絵が流れてきたとか
それで幸せ感じて何が悪いねん。
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