己の美の足るを知る。

 宇津木式の肌断食と湯シャンで小好状態だった私の肌、数日前から絶賛肌荒れ中である。ニキビのような湿疹がポツポツ無数にでき、肌が全体的に赤らみ、皮脂がテカテカ止まらない。おまけにヒリヒリと肌の奥が痛い。
 ここ最近、肌の改善が肌断食開始当初に比べ停滞気味だったのだ。毛穴もお風呂上がりの赤みも気になる…なかなか“綺麗じゃない肌”を抜け出せない…と悶々とする日々。人間、頑張ってるのに進歩しないと焦るものだ。そして愚かにも、やれ化粧水を塗ってみたり、ボディクリームを塗ってみたり、昔もらった皮膚科の薬を塗ってみたり(!)、色々してみてしまったのである。
 また、美容院で頭のベタつきを指摘されたのも大きかった。その日以来、やっぱり夏は湯シャンじゃダメか…と思い、毎日シャンプーをしてしまっていたのだ。
 そういう足し算の美容法って、えてしてどれも楽しいのだ。いい香りがしたり、とろみのある肌触りが心地よかったり。“自分を手入れしてる感“もある。
 そのうちどれが駄目だったのかは分からないが、今の私の顔は本当にひどい有様だ。“綺麗じゃない肌”だったのが、今や“病的な肌”に100歩後退している。とほほ。

 自分の肌はプラスアルファの刺激で綺麗にならないこと、よーく分かっているはずなのに、つい“綺麗な肌”への近道を求めてしまったのだ。
“奥まで浸透し、透き通る素肌へ”“潤い溢れる美肌へ”ーーースキンケア商品の売り文句は、生まれてこの方“綺麗な肌”を経験したことがない私にとって、本当に残酷なほど魅惑的だ。心が弱った時、迷いが生じた時、その隙間にいとも簡単に侵入してくる。

 心の隙間を作らないためには、己の美の足るを知ることだと痛感する。
 いくら自己ベストを更新しようが、インスタで流れてくるツルッツルすべすべの肌の美女には、私はなれないのだ。自己ベストは、相対的には“綺麗なじゃない肌”でしかないかもしれないけど、私はそれより先にはどうやっても(まだ)行けない。悲しいけど、そのことをちゃんと把握しておくことが重要なのだ。高望みすればするほど、理想と現実のギャップがそのまま心の隙間になって、つい余計なケア商品に手を出したり、余計なことをしてしまう。

 スキンケア用品を使わない、擦らない。私にできるのは、とにかく害になることをしない、引き算の美容法しかないのだ。決してテンションが上がる内容じゃないけど、仕方がないのだ。

 そう思うと、現在何も肌トラブルがない人には、肌断食は必要ないと思う。いい香り、肌触り、そして化粧品を使う満足感は、自己肯定感を高める助けになるから。私だって、髪の毛から常にシャンプーのいい香りがして、人工的にツヤツヤにしておけるならそうする。ご褒美に高いクレンジングクリームを使って、綺麗になれるならそうする。昔より明らかに肌は綺麗になったけど、不思議なことに、昔の方が自分を大切にしていたような気がするのだ。お金と手間をたっぷりかけていた。お金と手間をたっぷりかけて、それに美が応えてくれるならそれに越したことはない。

 肌に害のない内容で、テンションの上がる足し算の美容法を見つけたいものだ…。

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