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ポルノグラフィティ「君の愛読書がケルアックだった件」をイメージした小説8

新井さんの病室の前に来てどのくらいの時間が経っただろうか。通り過ぎる人は不思議そうに僕を見ている。このままだと怪しい人物だ。いや、もう既に怪しいか…。
ドアに手をかける。深呼吸を一つしてからドアを開けた。
ドアを開けた瞬間、新井さんのお母さんと目が合った。

「こんにちは。今井です。」

「来てくれたのね。ありがとう。美羽、今井君よ。こちらにどうぞ。」

「ありがとうございます。」

恐る恐る、新井さんがいるであろうベッドへ向かう。

「じゃあ私はちょっと、売店に行ってくるわね。今井君、ゆっくりして行ってね。」

そう言うと新井さんのお母さんは病室から出て行った。病室には僕と新井さんの二人きり。最初に沈黙を破ったのは新井さんだった。

「この間は、ごめんなさい。感情的になってしまって…。」

「いや、あれは僕が悪かったわけで…新井さんは何にも悪くないよ。本当にごめん。」

「もう怒ってないから謝らないでよ。」

「うん。」

「それとあの時、保健の先生を呼びに行ってくれて、ありがとう。」

「いや、それくらいしか出来なかったからさ。」

「体のこと…お母さんに聞いたんだよね。」

「うん。」

新井さんは僕に向けていた視線を窓の外に移した。

「私ね…小さい頃から、この病気のせいで入退院を繰り返していたの。だから外で遊ぶことも、出かけることもあまり出来なかった。」

僕は新井さんの話を静かに聞いていた。

「そんな時、両親が本をたくさん買ってくれてね。病室にいても退屈しないようにって。私は夢中で読んだわ。だって本を読んでいる間は、想像の世界に行ける。この病室の中だけだった私の世界が一気に膨らんだの。そして、いつしか自分で物語を書くようになった。」

新井さんの視線は窓の外に移ったままで、表情は読み取れない。

「物語の中だと、私は何にでもなれるの。世界を救う勇者にも、自由を追い求めて世界中を旅することも、普通に高校に通って学園生活を送るヒロインにだって…何にでもなれるのよ。」

相変わらず表情は読み取れなかったが、シ—ツを握っている手が少しだけ震えているように見えた。なんて言えば、その手の平をほどくことが出来るのだろうか。ほんの少しの沈黙が訪れる。

「物語の中だけじゃなくて…なれるよ。うん。新井さんのなりたいものに、きっとなれるよ。」

それは気休めの言葉でしかない。それでも今の僕には、これ以上の言葉が見つからない。

「本当にそう思う?」

「うん。」

「ありがとう。」

やっと新井さんは僕の方を向いてくれた。その表情は穏やかだった。

「あ、そうだ!」

「どうしたの?」

「私の小説。応募したって言っていたけど、住所とか連絡先はどうしたの?」

「名前だけ新井さんにして、他は僕のにしました。」

「なるほど。今井君って意外と大胆なのね。」

「そ、そうかな。」

「そうよ。人の物を勝手に応募するなんて。」

「ごめん…。」

「もう謝らないでよ。責めてるわけじゃないの。まぁ、最初に聞いた時は頭にきたけど…今は良かったって思っているんだから。」

「本当に?」

「うん。私だったら絶対にやれなかったから。どうせ長く生きられないなら、何をやっても意味がないって思ってたのよ。でも…そう思うのはもう止めるわ。」

「うん。」

「小説がもし選ばれたら、小説家でも目指そうかしら。」

「いいと思う!」

「あはは。冗談よ。」

「目指そうよ!そしたら僕、応援するよ!!」

「う~ん、じゃあ考えとく。」

新井さんは少し赤くなった顔を見られないように下を向いた。
その後も他愛のない話を新井さんとしていると時間はあっという間に過ぎた。

「長居しちゃって、ごめんね。」

「大丈夫。たくさん話が出来て楽しかった。…また来てくれる?」

思わぬ言葉に僕は驚きと嬉しさが込み上げた。

「もちろん。」

「体調が優れない時もあるから、来る前に連絡もらえると助かる。これ、私の連絡先。」

「わかった。」

「またね。」

「うん。」

新井さんと新井さんのお母さんに別れを告げ、僕は病室から出ていった。無事に仲直りが出来たことと、新井さんの体調が思っていたより良かったことに安堵した。
新井さんの病気もきっと治るものだと、その時の僕は信じて疑わなかった。

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