新藤晴一著『自宅にて』を再読する

自分の文章に影響を与えた人物を考えたとき、その筆頭に上がるのがポルノグラフィティのギタリストでありソングライターの新藤晴一だ。中学生という最も多感な時期に彼に出会ってから22年、彼の発してきた言葉はいちいちわたしの心を撫でたり刺したりこねくり回したりし続けてきた。

そんな彼が2006年に出版したエッセイ集『自宅にて』も、当然のようにわたしの脳みそのいちばん柔らかいところに刻み込まれた。当時高校3年生のわたしは少しポルノグラフィティから気持ちが離れていたが、たまたま本屋に平積みになってた新刊のそれを手に取り、迷わずレジに持って行ったことを覚えている。音楽雑誌で連載していたこともなんとなくでしか知らなかったのに、一行も読まずにお会計させてしまうとは、さすが安心と信頼の新藤晴一である。

センター試験の直前、わたしは何の気なしにそれを読んで、あきれるくらい号泣した。ほとんど一気にスターダムにのし上がった彼が、しかし一枚はがせば「ミュージシャンを目指して因島から東京に出てきた普通の若者」の彼が、真面目に、時に酔っぱらいながら(ほんとにそう書いてる)、時に締切に追われながら(ほんとにそう書いてる)したためたその心の内が、どうしようもなく不安なわたしにじゅわじゅわと沁み込んでしまった。そんなの、歌詞以上に忘れられるわけないだろう。

ポルノグラフィティがアホほど忙しかった2001年から、新しい体制になって否が応でも前を向かねばならなくなった2005年までの彼の心持ちが、素直な言葉で綴られている。今回は新藤晴一の47回目の誕生日を記念して、このエッセイをもう一度最初から最後まで読み直し、自分にとって特に印象的な部分を紹介しようと思う。


「息子よ」と言ってくれたのは

『自宅にて』は、特別編としてブータンの旅を記したエッセイから始まる。何を隠そうわたしはブータンという国をこの文章で知ったし、影響を受けすぎて大学のレポートでもブータンを何度も取り上げた。つくづくわたしへの影響力が絶大な男である。

 ブータンはおとぎの国でもないし、僕らが住んでいるこっち側の世界と無関係であるはずもなく、そこに生身の人が住む以上、守るべきものと取り入れるもの、立ち止まる場所と進む道にはいくつもの矛盾を感じることもあるんだろう。
 ただ、大事なものの順番を変えない。もしかしたら、それに順番があるという発想さえもないのかもしれない。ただ単に自然環境とか命とか名前をつけて言い切れるものではないのかもしれないが、大事なものは大事なものとしてとらえているのだろう。 (p.45)

ブータンを旅行するには政府の許可が必要で、ある程度決められた行程しか回ることはできない(今はどうか分からないけど当時調べた限りではそうだった)。その中でブータンの精神性を感じ、それを言葉にできる彼に震えてしまう。彼はブータン編の冒頭で「違和感のない違和感」を覚えて、それを「人がある意味において人らしく暮らしていた時代の記憶が反応したんじゃないか」と結論付けた。すぐ後でその考えを「陳腐なロマンチシズム」と評すんだけど、全然そんなことないぞ。30歳そこそこでそんなこと言える人間こそなかなかいないと思う。世界一周して旅行記書いてくれ……


歌詞について

 ということで、僕の目標は”詞的”とは必ずしも言えないけど、確かに身の回りにある事実を、詞というとこまで昇華できるようになること。”生” ”死” ”絶望” ”諦め” ”圧倒的な暴力”なんかをね。こんなことを歌詞にできれば、恋愛のことをテーマにしても、もっといいものが書けるんじゃないかな。いつかできればいいなぁ。 (p.63)

具体的な例として”原爆”(およびそれを通した”死”や”科学の弊害”)を挙げていたんだけど、まあ原爆はJ-POPの歌詞になりづらいわ。J-POPがそもそもそういう主題を避けがちなのもあるだろうし。ただ、それは記事を書いた2001年当時彼がまだ若かったからというのもあると思うので、今後に期待したいところである。

歌詞については別の記事でも何度か書いていて、「行間」に込める意味やその広がりについて述べた部分も興味深い。今も昔も、わたし自身詩を書いて生きてきたので、行間に込めたいものがあるのは分かるし、それをじゅうぶん読み取ってもらえるかはこちらだけの力では難しいのも感じている。「ポルノグラフィティの曲の歌詞だから受け止められる言葉」ってやっぱりあるから、そこをどう乗り越えていくか、というのは今の彼の言葉でも聞いてみたい。


人は”完全”にわかり合えることはない

彼のnote「自宅にて2020」シリーズでもリライトされていたタイトル。もうこのタイトルだけで彼の歌詞に繋がる思想がびしばし伝わってくる。えぐい。

 自分が自分である以上、ひと握りなのか、ひとつまみなのか、あるいはもっと小さいのか、けど確実に”わかり合えない欠片”はある。そこが他の誰とも違う自分であるとも言えると思う。さらに言えば、そのわかり合えない小さな欠片があるから、人とわかり合いたい、わかってもらいたい、話したい、触れたい、見つめたい、と思うんだ。
 もしパソコンのUSBケーブルみたいなので人と心をつなげて、一瞬で”完全”に一緒になれるとしたら、僕という個人はいらないし、僕は詞を書かないだろう。 (p.84)

よく言われることなので改めてわたしが書く必要もない気がするが、『カメレオン・レンズ』に書かれた世界もまさにそんなかんじだ。僕が放った「青い鳥」は、君の空では「不吉な声で鳴くカラス」になる。愛し合っているはずのふたりの見ているものは、まったく違うものかもしれない、という歌詞だ。

思えばこの世の人と人との争いごとは、「あなたはわたしのことを分かってくれるはずだ」「なんでわたしを理解してくれないんだ」というところから始まってしまうのかもしれない。あるいは、自分には理解できないなにものかを排除するために。そう思うと、「完全にはわかり合えない」という彼の言葉が余計に響いてくる。完全でなくても理解しようとすることが人間の営みであり、理解してもらえない部分をなんとかしようとするのが文化の源泉になるんだよな。

ちなみにリライトされた記事がこちら。約20年経っても変わりない思考と、より深まった部分がだいぶ無料で読める。もっとお金を払わせてほしいっていうかまたエッセイ集出してほしいんよ。誰に言えば実現する?


戦争が始まった

 まず、(誰からか)教えられたとおり戦争反対、戦争はよくないことと思ってみる。ここから始まるのは間違ってないと思う。どんなことがあっても戦争はよくないことの箱に入れるべきだ。そこで僕は迷路に入った。これを、朝、奥さんと子供にキスをして、あのビルに出社して、そして窓の外からこちら側へ、突っ込んでくる飛行機を見つけた人にその瞬間、自信持って言えるか? どんなことがあっても戦争は反対ですって。もちろん、あのビルで亡くなった人やご遺族がすべて、報復を望んでいるとも思ってないが。
 ほんじゃあ、今回の戦争に限って言えばしょうがないのかなぁと考えてみる。で同じことだと気づく。僕は、降ってくる爆弾を見上げた子供に、しょうがないよって言えるのか?
 この後はこれが回っていく。まるで出口の見えない迷路かってところだ。とりあえず、どっちの箱にも入れず、両手で持っていよう。 (p.90)

2001年の9.11テロの直後に書かれた記事だ。あの頃、何が正しいのか分からないまま、議論があまりなされないままにいろんなことが進んでいた印象があった。そういう世の中の迷いを、27歳男性の視点から書いている記事だ。

彼は長いことラジオのレギュラー枠を一人で持っていて、その中で政治的なことや社会問題について言及する時もある。(おそらく)あくまでミュージシャンとしてやってるわけで、そういうセンシティブなことに敢えて触れる必要もないんじゃないかと思うんだけど、彼は彼の感覚で結構あけすけに、こっちがヒヤヒヤすることもあるくらいにそれについて喋る。賛同できる時もあればどうしてもできない時もあって、悶々と深夜を過ごすこともたまにある。

分かってるんだ、それしかできない。どうしようもない世界のうねりがあって、直接それを動かすことはできないとしても、考えることはできるだろって彼は言いたいんだろう。そんな片鱗をこの記事からも感じて、彼と同じように頭の中がぐるぐる迷子になる。しゃあないね、考えることしかできないからね。それをちゃんと高校生のわたしに教えてくれたから、この本はやっぱり偉大だ。


俺らの曲は誰のもの?

 前にメンバーで移動しているときに、居合わせたファンの人に、「サウダージ」を創ってくれてありがとう、って言われたことがある。僕らには怖い顔のマネージャーたちが取り囲んでいるので、少し離れた場所から。そのセリフの文面には、間違いなく”私の”がつくのだろう。「きゃー、ステキ」と言われることはしばしばだが、それは嘘だが、この言葉は僕に残っている。そう言った人は手の中で、その人の「サウダージ」を握り締めているような気がした。

 曲がひとり歩きをするって言い方をよくするが、こういったひとり歩きなら創り手冥利ってやつだ。全速力で走ってくれてもいい。自分らがいなくなっても、曲が残ればいいなって思う創り手は僕だけじゃない。 (p.123)

以前「ちはやふるあなたの歌はぼくの歌抱きしめているおもいで熱い」って短歌を詠んだんだけど、この文章が無意識のうちに下敷きになっている。ポルノグラフィティはわたしにとって一緒に人生を歩んできた存在で、人生のいろんな瞬間で目印になっている曲がたくさんある。先日THE FIRST TAKEで歌われた『サウダージ』も、きっとたくさんの人にとって「私のサウダージ」になっているからこそ(なり続けているからこそ)、あれだけ再生数が伸びているのではないか。

もはやポルノグラフィティはその楽曲に限らず、ポルノグラフィティそのものがわたしの人生だ。彼らは22年間導いてくれた兄であり、遠くから成功を見守っている幼なじみであり、これからも元気で生きてほしい弟のような気がしている。そしてそんなポルノグラフィティという概念を、ふたりとも本当に大切にしてくれていることが嬉しいし、それはきっと彼らもかつては音楽が大好きな田舎の少年で、わたしと同じように大切にしている楽曲が彼らにもあるからじゃないかと思ってる。この文章の前段にもそんな彼の言葉があって、彼が最近よく言う「ポルノグラフィティを汚したくない」っていうのはその思いと地続きなんだろう。驕らずに「わたしのポルノグラフィティ」を守ろうとしてくれているの、めちゃくちゃありがたいよ。

後半の文章は『TVスター』の最後の歌詞を想起させる。あまりにもブラックすぎる曲だけど(当時の彼の精神状態が心配なくらい)、「やがて僕ら去って そしてファンも去って また時代が過ぎようが かわらず音楽はあるだろう」っていう部分だけは唯一の希望で、そうであってほしいと願っているのも本当なのかなと思う。いつの日か彼らもわたしも老いて、今と同じようには動けなくなったとしても、わたしの「サウダージ」はきっとわたしのもののままだから、お経じゃなくて「好きすぎてしぬポルノグラフィティ」プレイリストを流してあの世に送ってくれよな。


インドに行きたい

 ツアーを回ってるとき、空港から市街地まではのどかな地域であることが多く、ぼんやりと外を眺める。腰の曲がった老夫婦が農作業をしていたりする。たぶん何人かの子供を育てて、家を守って、働いて働いてきたんだろうと想像する。そしてそのうち、その家族以外には知られることなく静かに死んでいくんだろう。そういう人生を僕が幸せだと思うことはない。やっぱりギター弾いて言葉を紡いで、たくさんの人にアピールできることだとか、お気に入りのジーンズを腰ではいて友達と飲みに行くとかに幸せを感じるし、その方向に向かって生きているんだろう。少なくとも現時点ではそういう状況にいられることを幸せに思う。その老夫婦よりも自分が幸せだなどと思ってしまう。

 これが完全な間違いであることは言うまでもないが、どうしても幸せを感じるとき、人と比べてどうであるかと考えてしまいがちになるのは僕だけか?
 僕がライブの後に飲むビールと、老夫婦が実りゆく作物を眺めながら飲むお茶の味を、比べられるはずもないのにね。 (p.191)

タイトル通り、インドに行きたいって話の文章で、この後本当にインドに行った話を3回に渡って書いている(今更ながらこの頃のスケジュールで凄いバイタリティだな)。この「自作自演の価値観」の自分がインドをどう感じるか、って続いていくのだ。もちろん自分の価値観はそう簡単に変わらないことも織り込み済みで。

初めてこの文章を読んだとき、この本の中で一番泣いたのを覚えている。なんでかははっきり言って分からなかった。比べられるはずもないものをつい比べてしまうことは多くの人が思い当たることで、「あいつよりましだ」とか「あんな状況より幸せだ」って思いながら自分の現状を肯定することって誰にでもある。それをきちんと自分の言葉で表現できている彼が凄いと思ったのかもしれない。もしくは、「農作業をする老夫婦」というキーワードから、島で生まれて島で生きたかもしれない彼の違う人生の選択肢を連想したからかもしれない。

今読み返した時思い出すのは、『農夫と赤いスカーフ』の歌詞だ。もしかしたら彼はこの歌詞を書いた時に、その答えに辿り着いたのかもしれないと思った。

花がそれぞれ季節を持つように
だれもが自分の生きていく場所へ
種を綿毛にのせ いつの日かどこかおり立つのだろう

さざめく黄金色の海のように風に揺れている
実りの時を迎えようとしている雄々しき小麦を
誇らしく丘からその農夫はじっと眺めている

大地を愛してこの地に残る
赤いスカーフを巻いた若い農夫
白い飛行機雲 その先の地で暮らすと決めた彼の女

農夫にも彼女にもそれぞれの人生があって、それぞれの幸福があって、それをまるごと肯定するような歌詞を彼がのちに書いたことが、今のわたしを泣かせるんだろうと思う。それは、自分もたくさんの取捨選択をして今を生きているからだ。選んだものもあれば捨ててきたものもある中で、他人と比べることをやめられないながらも、ちゃんと自分の状況を幸せだと思える。もしかしたら彼も一緒かもしれないなあ、と思うから少し胸がじんとしてしまうのかな、と思っている。


嘘でも前に

まあ、挙げざるを得んよな、と思いながら挙げている。ポルノグラフィティからTamaちゃんが脱退してすぐの頃の文章だ。ものすごく率直な、痛いほど真っ直ぐな言葉で当時の状況の欠片を記している。正直前半は読み返すのが辛いくらい。

 ポルノグラフィティは仕事ではない。仕事になった時点で仕事として成り立たなくなるという不可解な表現になるが、最初に青くさいともいえるロマンチシズムがあって、それを持ち続けることができ、理解してくれる人がCDを手にとってくれたとき、初めて生業、仕事となる。逆に言うと、ポルノグラフィティを仕事として僕が生きていけてるのは、まだ夢を見ていられるからだとも思う。ときどきは目が覚めそうなときもあるけどね。そういうときはぎゅっと頑なに目をつぶって、見ていた夢をたどり直すんだ。諦めて目を開け、冴えた頭でお金の勘定などし出したら二度とは戻れないからね。 (p.202)

ここは後年完全に『一雫』の歌詞になっていて、しかも最もこの文章の要旨を反映させた部分を彼自身がボーカルとして歌ってるものだから、余計に心にぶっ刺さる。

「俺らの曲は誰のもの?」の記事のところでも書いたように、彼らにとってポルノグラフィティは夢であり仕事であり、現実であり理想であり、自分たちだけのものでありみんなのものでもあるのだ。ここまでもこれまでも「目が覚めそうなとき」が何度もあって、もしかしたら幾度となく「もうやめてしまおうか」と思ったのかもしれないから、夢を見続ける選択をしてくれて良かったと思うし、まだ夢を見てくれていることがこの上なく嬉しい。

 こんなふうにネガティブなニュースがあるときには、とにかく前向きな言葉を連ねたいのだけど、なかなか出てこない。後ろ向きかっていうとそうじゃないんだけど、わからないことが多すぎて自分がどういう気持ちかってことさえ測りかねている部分があるのも事実。昭仁とも10年やってるけど、ふたりだけでやるのは初めてだから、うまくいく保証もなければ確信もない。同じかそれ以上に期待してるけど。「明日はきっといい日さ」と僕自身歌詞に書いた記憶があるが、そうとばかり思えないときもあるよ。経験値ゼロのポルノと、100%の自信を取り戻すまで「嘘でも前に」だよ。「嘘でも前に」行けるうちは前に行く。「嘘でも前に」行けなくなったそのとき考えよう。そうしてるうちに「明後日か明々後日か一週間後くらい先は、いい日さ」って思えるかもしれない。 (p.203)

もうほぼ全部引用してしまったくらいの量で申し訳ない。もうふたりでやると決めたからにはやるしかない、という状況の中で、率直な不安が克明に記されているこの文章は、当時のファンの気持ちの代弁にもなったんじゃないかと思う。「嘘でも前に」というのは最新曲『テーマソング』の歌詞の中のフレーズにも似た部分があって界隈がざわついたのは記憶に新しい。決して止まらない時間の中で、自分だけ立ち止まっても何も変わらないというメッセージは、かつて彼自身ががそう感じたからこそ、強くわたしたちの胸に届いてきた。ネガティブなニュースは現在も変わらずあふれているけど、わたしたちだって彼らだって「嘘でも前に」進むしかないんだよね。向かう先が明るくないときはつい忘れがちなことを、彼のこの文章のおかげでここまで忘れずに来れた気がする。


名前以上に自分を表すもの

 じゃあ、僕らがある日突然名前を失ったらどうなる。初対面の人は名前を聞けないから、「あなたとあなたじゃない人とを区別する方法を教えてください」となるわけだ。(中略)
 まぁひととおり趣味や特技、学歴や住所なんかを履歴書みたいに並べれば確率的にあなたとわたしは区別できるんだろうけど、さらに話を突き詰めるとロックのシャウトでいう「履歴書で俺の何がわかるんだよ」って話だ。それって生息地と羽の特徴で分類される蝶みたいなもんだよね。さらにさらに言うと、他人は履歴書でとりあえずの区別をできたとしよう。じゃあ、自分はどうだ。自分が自分を見失ったときに”わたし”のをわたしに尋ねたとき、どう答える? まさか自分のことをわかるために住所は使わないだろうね。
 僕だったらどうする、というかどうしてる? たぶん尋ね続ける。尋ね続けようとしてる。いつか答えが返ってくるかもしれないし、もしかしたら尋ね続けているわたしが”わたし”なのかもしれないし。 (p.227)

『Go Steady Go!』の歌詞に「君はまだ名前よりも確かに自分のこと示す言葉探しているの?」という部分があった。「名前以上に自分を表すもの」とは、自分がここにいることの存在証明のようなもので、彼にとってはそのひとつがこうして自分の思いを言葉にすることなのだ、という話でこの連載は終了に至る(が、実際にはあと1回続いた)。

「自分で投げたボールは自分でとりに行かなくちゃ」という言葉でこの記事は終わる。きっと彼はまだ探している。名前以上に自分を表すものを。わたしたちはその欠片を、彼の表現する音楽や言葉で認識することができる。それってめっちゃ幸せなことなんだよなあ、とこの記事が書かれてから16年の時を越えてしみじみと実感するのであった。


***

晴一さんは、いつも自分の言葉を直に伝えようとしてくれる。長らくはラジオのレギュラー番組で、Twitterで、そして昨年からはnoteも活用して、常にこちらを向いて言葉を発しようとしてくれる。もしかしたら、やりたくてやってるだけかもしれないけど、それがどれだけありがたいことか、この場を借りて伝えたいと思った。

古くは20年前の文章を再読されて読み込まれて今更感想言われても困る、と思われるかもしれないけど、この本はわたしにとってそれだけ大きな影響を与えて、今読んでも新鮮な気持ちにさせてくれる大切な一冊なので、晴一さんの誕生日という記念すべき日に記事にしたかった。あの頃のわたしにあなたの言葉が届いて嬉しかった。47歳の誕生日おめでとうございます。ポルノグラフィティを大切にしてくれてありがとうございます。いつまでも健やかでありますように、新しい音楽を鳴らし続けてくれますように、わたしの人生を照らし続けてくれますように。

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