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「名前」をつけることは武器になる

あれはアメリカの小学校に転校して三ヶ月ぐらい経った頃に始まったんだと思う。

最初は「なんで二人は私の髪の毛を勝手に撫でたり触ったりするんだろう」と不思議に思いながらも、当時6歳だった私は「クラスで黒髪なのは私だけだから珍しくって触ったりするのかな?」ぐらいにしか思っていなかった。

でも、同じクラスの男の子二人がする「なんか不思議なこと」はだんだん増えていき、教室につくと私の椅子がなかったり、私の筆箱に入っているはずの日本から持ってきた鉛筆を二人が勝手に使っていたりすることが度々起きるようになった。

そんな「不思議なこと」をされる日々が数ヶ月続いたある日のこと。

その日は近くの動物園に行く予定で、アメリカの学校での初めての遠足を楽しみしていた私は遠足に出かける直前、先生に思わぬ言葉をかけられた。

「〇〇と〇〇(男の子二人)が、『ももこが体調悪く、遠足にいきたくないって言ってる』と教えてくれたんだけど本当?具合悪かったら無理に遠足行かなくていいからね」

私は体調なんて悪くなかったのに、私の目の前で「ももこは遠足に行きたくないって言ってる」と先生に繰り返し伝える二人。

英語が話せる今の私であればはっきりとその場で「そんなことは言ってない」と先生に自分の口で伝えられたんだろうな。

でも、アメリカに引っ越してまだ三ヶ月しか経っていなかった当時、周りが話している内容は大体理解できるようになっていたものの、私はまだ英語を「話す」ことができなかった。

二人が先生に嘘を付いているのはわかるのに、自分の口で、英語で反論できない悔しさと、遠足に行きたいのに置いてけぼりにされちゃう、という思いが込み上げてきて、大粒の涙がポロポロとこぼれ出したのを今でも覚えている。

英語を一言も話さない日本からの転校生が泣いてしまった、とさすがに心配した先生が両親に相談したようで、その晩初めて母に今までされてきた「なんか不思議なこと」を打ち明けた。

泣きながらこれまでのことを話し終えた後、母にこう尋ねられた。

「ももこはそういうことされて嫌やった?」と。

またポロポロと涙を流しながら「・・・うん」と答えた私。

それに対して母は「嫌なことやったのに我慢してたんやね、教えてくれてありがとう。でも嫌なことは嫌って言っていいんやで。明日一緒に先生に伝えに行こう」と言ってくれた。

その時、これまで「なんか不思議なこと」としか捉えていなかったことは「されて嫌なこと」だったんだと初めて私の中でくっきりとした形のある感情になったんだと思う。

大人になった今、6歳の頃経験したのは「いじめ」だったんだと理解できるるものの、一年生だった私はクラスの男の子2人が繰り返す「なんか不思議なこと」は「されて嫌なこと」という「名前」を母に付けてもらって初めて、「嫌だからやめて欲しいって伝え、周りの大人に助けてって言ってもいいことなんだ」と気付くことができたのです。

私を救ってくれた「名前」たち

25歳になった今も、私は「名前をつけること」ってすごく大事なことだと思っています。

なぜなら、6歳の時の私のように嫌な思いをしたり、社会的に抑圧され、誰か、もしくは何かに踏まれている側の人間が「自分は今、踏まれている」と気付くのには「名前」が必要だから。

25歳になった今、一番関心を持っているジェンダー問題と向き合う上でも、なんとなく感じていた「モヤモヤ」に実は名前があったんだ、と学ぶたびに私は救われてきた。

求めてもいないのに、男性が女性に対して上から目線で説明や助言をしてくるのは"Man" (男性)と”Explain"(説明)をかけ合わせた「Mansplaining(マンスプレイニング)」と呼ばれる行為だと初めて知った時。

例え無意識であっても「女性は男性より無知」という偏見が少なからず影響しているということもその時学びました。

弱者が差別や理不尽な状況に抗議するのに対して「冷静に、もっと優しく伝えないと聞いてもらえないよ」と強者がいうのは口調や態度を非難することで弱者を沈黙させ、訴えを無効化する「Tone Policing(トーンポリシング)」(口調を意味する "Tone" と、取り締まるを意味する "Policing" のかばん語)という行為だと学んだ時。

本当は理解するつもりなどないのに、丁寧な姿勢を装いながら質問責めにすることで相手を疲弊させ、黙らせようとする行為は「Sealioning(シーライオニング)」と呼ばれるハラスメントの一種だと読んだ時。

会議などで女性が最初にアイディアを共有した際は軽視されたのに、そのすぐ後に男性が似たような主張を発した途端注目を浴び、男性があたかも発案者のように振る舞うのは "He"(彼)+ "Repeat"(繰り返す) で 「Hepeating(ヒーピーティング)」 という名前が付いている行為なのだとつい先日上司に教わった時。

そして、6歳の頃に「いじめ」を経験したなんて忘れかけていた頃、大学の授業で、見慣れない肌色や髪色だからといって許可なしに誰かの肌や髪の毛に触れたりするのは 「Patronizing Act(パトロナイジング)」(パトロン、という言葉からわかるように、擁護するような立場を装いながら相手を見下す行為) と呼ばれるんだと学んだ時。

小さな子どもであれば未知の物に好奇心が湧くのはごく自然なことなのかもしれない。

けれど、まるで美術館の展示物に触れるかのように、自分と異なる身体的特徴を持った人の肌や髪の毛などを興味本位で許可なく触れたりする行為の裏には、例え無意識であっても実は自分が優位に立っていて、相手を見下しているという気持ちが見え隠れするものだと教授が教えてくれた。

「名前」は「モヤモヤ」に形を与える

これまで「モヤモヤ」で済まされてきた事柄を「名付ける」ことによって初めてその「モヤモヤ」は日常に転がっている不平等な状況や差別行為なんだとみんなが意識できるようになる。

そして「名前」を付け、「モヤモヤ」に形を与えてやることで、これまで踏まれてきた側も、「自分は今踏まれているんだ」と自覚することができ、声をあげることができるようになるんだろうなと思う。

「マンスプレイニング」という言葉を知らなければ、一番好きなミュージカルを観に行ったロンドンの劇場で「君は知らないだろうけど・・・」と突然頼んでもいないのにストーリーラインを説明し始めたおじさんに「私は無知だから・・・」と怖気付き、「知っています」とは言えてなかったかもしれない。

「トーンポリシング」を知らなければ「言いたいことはわかるけど、そんな言い方じゃダメだよ」と言われるたびにヘラヘラと「そうですよね・・・」と相槌を打ち、相手の思惑通り、黙り込んでいたのかもしれない。

「パトロナイジング」 という言葉があるということを知らなければ、将来自分が親になった時に「〇〇くんに勝手に髪の毛触られるの、いやなの」と訴える娘に対して、「男の子は好きな子にいたずらしちゃうもんなのよ、興味を持ってるだけだからいいじゃない」という母親になっていたかもしれない。

「自分は今踏まれているんだ」とまずは自分が気付き、「踏まないで」と声をあげるためにも、これまでぼやっとだけ存在してきたものに「名前」をつけてあげる、そしてその「名前」を学ぶことってすごく大事だな、と。

そして同時に、私も含めて、誰もが踏まれる側であると同時に、時には別の誰かを踏んでしまう側でもある。

だからこそ、どんな小さな「モヤモヤ」にもなるべく「名前」を付け、まずは自分が踏まれていることに鈍感にならないようにしていきたいなと思う。

それは、自分が他者を踏まないようにするための第一歩となると思うから。

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Googleが今年の国際女性デーにあわせて素敵な企画を出していました。

ジェンダーギャップ指数121位の日本において、あちこちに散らばっているのに、なかったことにされがちな不均等や不条理を「知る」ことが変化の一歩となるはず。


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