僕が人が挑戦する環境づくりを仕事にしている理由

僕には2人の弟がいる。2歳下の弟Mと6歳下の弟T。Mとは僕の結婚式で会って以来、約10年間会っていない。決して仲が悪いわけではないが、僕の中でMとの関係が今の仕事をする上で重要な意味を持つので書きたいと思う。


僕が人が挑戦できる環境づくりを仕事にしているのには間違いなくMが関係している。Mは僕の2歳下なので、幼稚園では年長と年少で同じ園に在籍。小学校では6年生と4年生。中学校では3年生と1年生。こんな感じで常に僕の後ろにはMがいた。

Mは運動であれば何でも器用にこなすタイプで、不器用だった僕からすると羨ましい存在だった。

今でも覚えているのは僕が小学校3年生でMが小学校1年生の時の校内マラソン大会。Mは終盤までトップ争いを演じ、最終的に準優勝。特別な練習もしていなかったのに準優勝。

一方僕はというと、たくさん練習をして20位。悔しいなんてもんじゃない。自分の中で可愛い弟だったMが運動の成績を比較するライバルと化した瞬間だった。

そこからMとは競い合う関係となり、中学生まで時間が経過する。

僕が中学3年の時、在籍していたハンドボール部に中学1年生のMは入部してきた。Mは僕にとってのライバル。ハンドボールという競技は素人には難しい競技でシュートを打つことすら苦労する。そんな難しい競技の新入部員たちの中にMが混じっていた。

僕にとってMはライバルであり、優しくする存在ではない。しかし、Mにとっては僕は兄貴であり部活の先輩。15歳の不器用な僕はそんな当たり前の関係すら気付かずにMに対して人一倍厳しく接した。ミスをすればきつい言葉を浴びせ、他の部員が少しでも良い動きをすれば手放しで褒める。今思うと最悪な先輩であり兄貴だが、当時の僕にとっては負けられないライバルに接しているつもりだったのだと思う。Mは僕の振る舞いにショックを受け、部活に入部はするが僕とは関わりが圧倒的に少ないポジションを希望した。

それまでは兄弟仲良くゲームをしたり、遊んだりすることが多かったのだが、その出来事が引き金となってどんどん距離を置くようになった。

僕は結果的にMの挑戦する機会を奪い、Mが充実した中学生活を送れずに高校を中退してしまうきっかけを作ってしまった。それだけが原因ではないのでは?と言われることも多いが、僕にとっては大きな罪悪感が抜けない出来事である。

人が挑戦をする時。自分が信頼している人に背中を後押ししてもらえること程、心強いことはない。今、僕が何かの挑戦をするときには妻や子供たちが背中を後押ししてくれる。結果は色々あるが成長する機会を数多く作れていると思う。しかし、僕がMに対して取った行動は信頼されているMの背中を後押しするどころか足を引っ張って舞台から引き摺り降ろそうとまでしていた。

今だに中学校の校庭で僕に褒めて欲しそうな笑顔のMの顔が忘れられない。あの時なぜ、もっと優しく挑戦した結果を褒めてやれなかったんだろう。受け入れてやれなかったんだろう。僕の心の奥にある後悔だ。

僕が人が挑戦できる環境づくりに身を捧げている理由はこれがベースになっている。
人は些細なきっかけで充実した人生を送ることができるし、その逆もしかり。

これからも僕は挑戦する人を後押しする環境づくりにコミットしていく。いつかMと会った時に彼は忘れているかもしれないが、中学生の頃の出来事について向き合って話をしたいと思う。

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