舞台『息る。』感想
こんばんは!お久しぶりです。
3月4月は旧友に会ったり、新学期の準備をしたりしていて、インスタなりnoteなりに投稿したい写真を撮り溜めてはいたものの、投稿する機会を逃してしまいました…。もしかしたら、また振り返り投稿するかもしれません。
そんな中で、今回はToy Late Lieさんの公演、『息る。』を観劇してきたので、その感想を書いていきたいと思います!
こちらの公演を観に行ったキッカケは、僕の過去の記事を読んでくださればわかる通り、バトリズムに惚れ、その脚本演出を手がけられた萩原成哉さんに惚れ、、、
という感じです。
結論から先に言うと、
「すごい」っていうのが感想です(笑
語彙力喪失してめちゃくちゃ薄い感想ですが、なんというか、日々の生活の何事にも
「すごい」って思えるようになれたような、そんな作品でした。
「すごい」って日常での多くは「すごくー」みたいな強調か、素晴らしいの意味で使うと思うんですが、辞書で引くと1番の意味は「ぞっとするほど恐ろしい、非常に気味が悪い」って出てくるんですよね。
そんな意味も持っている「すごい」という言葉が似合う作品だな、って思いました。
つかみどころがなかなか見つからず追いかけるのが大変な物語で、でもだからって全然意味がわからないのではなく、むしろ登場人物たちの感情なんかがズカズカと土足で心の中に迫ってくるような感覚があって、その感覚は快感のようでありながらまさに「非常に気味が悪い」ものであり、また唯一無二の素晴らしいものであるとも言える「すごい」作品、それが僕にとっての『息る。』です。
この作品のテーマの一つは「嘘」だと思いますが、「嘘」というものの微妙さ、難しさを突きつけられた気分です。
自身の死と新たな生命の誕生を間近に待つ男性、おそらくトランスジェンダーの精神科医とその交際相手の女性、知能障害を持つ男性、などなど世の中で「生きづらい」とされるような人々が生きていくためのちょっとした嘘、あるいは大切な人や自分自身を守るために精神が病んだ、もしくは目が見えないと嘘をつく、それは決して間違ったことではないけれど、正しいとも言い切れない歯痒さ、それはきっとこの世に生きる全ての人々が、もちろん僕自身も感じていることのように思います。
そもそも嘘とはなんなのか。
心にないことを口にすることを指すのだとしたら、人々は無数の嘘を気づかないうちについているのではないでしょうか。
まさに、息をするように嘘をつく。
生きている=何かに嘘をついている。
そんな構図が垣間見えた気がします。
そして人はそんな数えきれない嘘とどう向き合うか、あるいはどう逃げようとするかを考えて生きているのかもしれない、そんなふうに僕は考えました。
嘘と向き合うためにはまた嘘を重ねないといけない。そうすることで大切なものを守る。
もし逃げるとしたら、それは現実を生きられないということなのかもしれない。
それを体現したのが父と母を失った、この作品のたった2人の"登場人物"である、あの姉と弟なんじゃないかな、と思います。
嘘にまみれて、真実の白が見えない灰色の世界が延々と広がっている、そう思うと生きることが嫌になってしまいそうです。
でも、灰色は塗り重ねるとどんどん黒くなっていきます。そんなふうに、嘘をどんどん重ねていくと、白い真実とは全く違った、黒い真実が生まれる。そんなところに僕は希望を見出したいと思いました。
絶対ありえないようなこと=嘘を信じ続けることで、実現する=真実になる、という希望。
そのために生きるのは悪くない、むしろ楽しそうだとも思える。
こんなふうに、僕にとっては嘘というものの不気味さに襲われながらも、勇気をくれる、本当に不思議な作品でした。
こんな「すごい」作品を書く、萩原成哉さんはやっぱり「すごい」人だなぁ、と。
心の底から尊敬します。
できることなら、冗談じゃなくて、心から弟子入りさせていただきたいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!せっかく始めたnoteなので、更新頑張ります^_^
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