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タイガとツンドラの原野を行く

アラスカ~ユーコン準州(カナダ) 1994年6月~7月


愛車MUSASHI号(キャノンデールT-2000)でアンカレジ(米・アラスカ州)を6月2日に出発して、フェアバンクス経由で北極圏を突破した。

その後、コールドフットという世界最北のトラックステーションのある集落で数日キャンプしたが、連日の雨にたたられる。運良く出会った親切な夫婦のピックアップトラックで自転車ごとヒッチハイクさせてもらうことにして、再度フェアバンクスまで戻ってきた。

もともと計画になかった北極圏横断というオプショナルツアーだが、決行してしまったことでかなり精神的に鍛えられる羽目になった。

原野には舗装路なんてものはない。タイヤが埋まるほどの泥のぬかるみでは40キロの荷物を満載した自転車を押して歩くのが精一杯。

砂利混じりのでこぼこ道にハンドルを取られて転倒したり、ブルックス山脈の強烈なアップダウンの連続にヒザが泣き、さらに道中では人間と出会うチャンスはほとんどなく、巨大なグリズリーベア(灰色熊)や体重1トン近くもあるというムース(ヘラジカ)らが僕を待ち受けていた。

フェアバンクスから北へ400キロ、往路だけで十分に堪能できたこのダルトンハイウェイに別れを告げ、無事フェアバンクスに戻って来た時には「生きてて良かった!」と素直に喜べた。だが、苛酷な試練は、実はそれが始まりだったということを、その時点では知るすべもなかった。

国境を越えてカナダに入る。

しかし、「カナダへようこそ」という看板と入国審査事務所がある以外は何もなかった。ツンドラの大地に、タイガの森をくぐり抜けるように地道のハイウェイが一本走っているだけだ。

カナダの都市の大半がアメリカ国境沿いにあり、カナダの人口の約9割が国境付近に集中しているという。カナダという国がいろんな面でアメリカの影響を受けているのは確かだが、この広大な原野に至っては、全くの手つかずの自然がそのまま残されているだけで、国境線が人為的に引かれただけのものだということを改めて実感した。

北極圏から南に200キロほど下っただけで、まだ日が沈む「夜」を経験していない。

太陽は東から西へと水平に移動する。

奇妙なものだが、日が昇って沈むという「1日」という単位がここでは非常にあいまいなのだ。

それに、高緯度地帯の夏は短い。その短い夏の間に様々な生き物が一度に現れては消えていく。春と夏と秋がほぼ同時にやってきて、1年の半分近くが雪と氷に閉ざされた世界となる。「四季」のある温帯育ちの人間には、昼だけ、あるいは夜だけが何ヶ月も続く世界などというのはどうも想像しがたい。


グリズリーベアを生まれて初めてまのあたりにしたのは、クルアニー国立公園内に入ってからのことだった。約30メートル前方に、体長約2.5メートルの大きな茶色いかたまりがハイウェイをのそのそと横断して、道端の茂みで何か食べ物を探しているようだった。

幸いこちらには気づいていないようだったが、もし時速50キロものスピードで追いかけられたりでもしたら、約40キロの荷物を積んだ我が愛車MUSASHI号では逃げ切れるわけがない。どうしていいのか分からず、じっとその場に立ちすくんでいたものの、なすすべもなし。

ありがたいことに、後ろから中年ドライヴァーのワゴン車がやってきてくれて、しばらく車の陰に隠れさせてもらえないか頼んでみた。

「熊なんてこの先にゃまだまだたくさんいるよ」とは彼の弁。後にも引けない、かと言って、この道を進まなければユーコン準州の州都ホワイトホースにはたどり着けない。

奈良公園の鹿の群れがすべて熊に変わってしまったところを想像してもらいたい。

熊せんべいがもし売られていたら、それを熊に向かって放り投げ、熊がそれを食べている間に自転車で逃げ去るということも可能だろう。

熊が鹿と違うのは、鹿よりも獰猛であり、人間を襲うこともあるし、中には人肉を貪り食うものもいるという点。

恐怖と冒険心とが自分の胸中で複雑に葛藤する一方で、グリズリーベアは相変わらずのんびりと草むらで何かモグモグとやっていた。


*アドヴェンチャー・ランナーのメルマガ「週刊PEACE RUN(第476号) ♪ シリーズ「PEACE RUN~人・町・風景・できごと」から


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