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「共同体感覚が低い人は、いつもシャドーボクシングをしているようだ。そこに敵はいないのに、緊張し、一人で闘っている」

シャドーボクシング

ボクシングには相手がいます。
しかし、シャドーボクシングには相手がいません。

相手がいないにもかかわらず、想像の中で、目の前に敵がいると思い込み、パンチを繰り出し防御する

それがシャドーボクシングです。

共同体感覚が低い人

これと同じことを、共同体感覚が低い人はしている、とアドラーは指摘しました。

目の前にいる人たちは、本当は仲間なのに、それをあたかも敵であるかのように想像する。

そして、相手にはそんな気がないのに、相手の言動を、あたかも自分への攻撃であるかのように思い込み、勝手に病御し、逃げ回る。

そして、隙あらば、相手への反撃のパンチを繰り出す。

これが、アドラーのたとえたシャドーボクシングです。

パンチを繰り出された

私は、20数年前、まだ20代の頃、同僚から敵認定されてサンドバックにされた経験があります。

その頃の私は、大卒のヤツには負けるもんかと、鼻息が荒く態度もよろしくなかったので、敵認定されてしまったのだと思います。

若造だった私は、周りの人たちを敵だと思っていたのだと振り返ることができます。

それからは、お互い敵同士となり、パンチの応酬が続きました。

今は、一緒に仕事をしていないので、争いごとはありませんが、一度壊れてしまった人間関係を修復するのは、とても困難だとつくづく感じています。

相手のことを信じる

周囲の人を敵だと思うことは、常に「シャドーボクシングをしている」ということです。

それでは、精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまうでしょう。
もちろん、安らぐことはできません。

そうではなく、周囲の人を信じるのです。
周囲の人は仲間であり味方だと。

信頼に根拠は不要です。
根拠なく信じるのです。

自分が行っている防御や攻撃がシャドーボクシングだったのだと気づけば、自分を変える大きな一歩となるでしょう。

私も、自分を変えることができました。

相手を変えることはできません。
自分が変わるのです。

周囲の人を仲間だと思い、シャドーボクシングをやめよう。


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