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「忘れっぽい人、ミスが多い人、不注意な人は、仲間に関心がない。共同体感覚が低いのである」

目的

あらゆる行動には目的があります。
その目的とは、優越性の追及、もしくは劣等の回避です。

それは、うっかりミスが多い人も同じことです。
ものごとを忘れることで、何らかの優越性の追求か、もしくは劣等の回避を無意識のうちに行っているのです。

仲間に無関心

アドラーは「注意が欠如しているのは、仲間に無関心だからである」と指摘しました。

もしも、仲間に関心が高く、共同体感覚が高ければ、果たすべきものごとを忘れず、うっかりする前に注意深く準備と点検をするだろう、というのです。

小心者

私は元来からの小心者なので、忘れ物をすることには必要以上にビビってしまう性格です。

例えば、小学生のとき、家庭科の調理実習があると、その食材は班ごとに班員が分担して持ち寄っていました。

メニューがカレーライスで、私の担当はお米だったとします。
万が一、私がお米を忘れてしまうと、カレールーだけを食べるはめになってしまいます。

そう考えると、前日に学校から帰宅したら直ぐにお米の準備をして、絶対に忘れないように鞄の中に入れていました。

そして、寝る前も、翌日学校に登校する前も、鞄の中にお米が入っているか確認していました。

責められたくない

今考えると、ちょっと病的な強迫観念にかられたような行動の目的は、仲間に貢献したいと言う気持ちからきていたのでしょうか?

きっと、自分が忘れ物をすることで仲間に迷惑をかけ、その結果として仲間から責められることを回避したいという、自分中心の思考だったのではないかと思います。

今は仲間に貢献したい

今は、アドラー心理学と出会って、純粋に仲間に貢献したいという気持ちから、忘れ物をしないように気を付けています。

これは、約束の時間を守る、という行動でも同じことが言えると思います。

ギリギリはいや

私は、約束時間に遅れることを嫌がります。

まあ、社会人としては当たり前だ、と言われてしまうかもしれませんが、根がビビりな私は、約束相手に嫌な思いをさせたくないのです。

なので、待つことはありますが、待たせることは偶発的なアクシデントでもない限りありません。

なんなら、偶発的なアクシデントが起きても、多少は大丈夫なくらいの時間に出発します。
どんだけビビりなんだという話しですよね(笑)

相手に強要はしない

そんな私は、時間にルーズな人が苦手でした。
何で約束の時間を守れないんだ?とよくイライラしていたものです。

しかし、時間を守ること、忘れ物をしないこと、身の回りを整理整頓することが苦手な人がいることも、今では理解できるようになりました。

たとえ苦手な人でも、できる範囲で点検して予防を心がける、それでいいのではないかと考えられるようになりました。

それが立派な共同体感覚の発揮だと思います。

完全でなくてもいい、行動に移すことが大切です。

忘れ物やミスが多い人は、できる範囲で点検や予防を心がけよう。


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