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「共同体感覚は、心の正常さと幸福のバロメーター。導きの星である」

共同体感覚はバロメーター

アドラーは、人を評価、判断する様々な尺度に「勇気」と並んで「共同体感覚」を繰り返し用いています。

つまり、共同体感覚の「あり」「なし」で人を分類し、共同体感覚の「多い」「少ない」を正常性のバロメーターとしたのです。

共同体感覚を重要視したアドラー

その分類は、「正常」「異常」「幸福」「不幸」の別にとどまらず、共同体感覚のあるなしで「成功」「失敗」も決まれば。「善」「悪」までも決まる、というのです。

それだけではありません。
アドラーは共同体感覚を「社会全般の幸福の導きの星」と呼び「共同体感覚の大きさ以外の基準を認めることができない」とまで言い切りました。

いかに共同体感覚を重要視していたか、わかりますね。

「正常」「幸福」「成功」「善」

「正常」とは、「幸福」とは、「成功」とは、「善」とは何でしょうか?

そもそも誰から見てのことでしょうか?

誰が何と言おうと、自分は「正常」で「幸福」で「成功」で「善」なのだから、それでいいのだ、と言い切れますか?

私は言い切る自信がありません。

自己満足

それは、自己満足の世界だと思うからです。

他者から「正常」で「幸福」で「成功」で「善」な人だと言われて初めて、他者に貢献できているのだと思います。

なので、私は何か行動を起こすときは、それが自己満足からくる行動でないかセルフチェックしています。

完全に他者のためなのか?

そう聞かれると、はいそうですと、まだまだ自信を持って言える段階ではありません。

アドラー心理学は、理解するのはそれほど難しいとは思いませんが、いざ、それを実行に移そうとすると、とても困難な学問だと思っています。

勇気と共同体感覚について常に考えていないと、あっという間にアドラー心理学の立場を逸脱してしまいます。

それもそのはずです。

アドラー心理学とは無縁な生活を50年も送ってきたのですから。

アドラー心理学を身に着ける

これはとても難しい課題です。

なので、こうやって毎日せっせとアウトプットしているというわけです。

信仰心が無く、神様の存在も信じていない私にとって、アドラー心理学は大切な心の拠り所なのです。

少しでも、心が軽くなるように、これからも修行を続けていきます。

共同体感覚は「導きの星」。道に迷ったときはそこへ帰ろう。




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