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川柳閑話vol.6:「言葉が動く」をなくしたい

 川柳を評する時に「言葉が動く」という言い方が使われることがあります。「ここの言葉は他の言葉でもいいんじゃない?」という意味、すなわち完成度が低いという意味で使われます(少なくともわたしはそのように感じます)。
 逆に「この言葉は動かない」という言い方もあります。こちらは、その句にぴったりの言葉が使われているという称賛の意味で使われます。
 
 このような言い回しがいつから使われているのか、川柳独特のものなのかわかりませんが、わたしが川柳を始めた1990年代後半には普通に定着していました(時実新子の鑑賞でも使われています)。最初はわたしも「そういう風に言うんだ」と受け入れ、疑問に思わず使っていたと思います。しかし、だんだんと違和感を覚えるようになりました。
 極論を言えば、動かない言葉なんてありません。
 例えばわたしの句を例に取りましょう。
 
<カメレオンなりたい君になれたのか 徳道かづみ>
 
 この句で「動く」と言われがちなのは、上五の「カメレオン」です。他の動物に変えてみましょう。
 
◇フラミンゴなりたい君になれたのか
 
 句意は若干変わりますが、成立はしますよね。食べ物でもいけますよ。
 
◇中華丼なりたい君になれたのか
 
 お花はどうでしょう。
 
◇芝桜なりたい君になれたのか
 
 むしろ別の言葉にした方が好きだ、と思われた方もいるかもしれません。でも、この句は厳然として「カメレオン」なのです。何故か。作者(わたし)が「カメレオン」を選択したからです。この句での「カメレオン」を譲らないからです。言葉は、動く・動かないではなく「動かせない」のです。作者は自分の必然性を持って言葉を選びます。読み手が「この言葉動くよね」と思っても、作者にとってはその言葉でなくてはいけないものなのです。
 
「言葉が動かない」は、最適な表現を褒める言い回しだったかもしれません。「言葉が動く」は安易な言葉選びをしないための注意だったかもしれません。でも、他の言い方が出来れば、その方が作者・読者ともに良いのではないかと思うのです。
 
 X(旧Twitter)では、しばしば主張していたことですが、改めて書かせてもらいました。「言葉が動く」はなくしていきたいですね。草の根運動は続けます。

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