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01. 「これ "が" いい」を歩む人生

はじめまして。和花(Waka)です。

ちょっと恥ずかしいですが、自己紹介をします。
"太字だけ"で概要をつかめます!)

1.私の人生の目的

〜個の「しあわせ」が平和の花を咲かせる〜

(「平和の花が咲いた状態」を「個人のしあわせが最大化された組織」と定義しています。)

VISION

努力で差を埋めることのできる世界にすること

(全ての人が自分の「しあわせ」のために努力をし、理想とのギャップを埋めることのできる世界にすること)

MISSION

① 自分の「しあわせ」を体現すること

② 組織の「しあわせ」のために自分の存在意義を考えること

③ 差で苦しむ人に差を埋める手段を提供すること

VALUE

・自分の時間を他人と共有すること

コミュニケーションを通じて人と人をつなげること

・自分の価値観で他人をはからないこと

・目に見えない「しあわせ」を信じること

2.私について


自己形成期:幼稚園〜小学生

私の記憶はインドネシアから始まります。

当時4歳だった私は、大雨の中、"同い年"の子どもたちが働いている姿に衝撃を覚えます。ボロボロの服、裸足で、彼らは車から降りてくる人たちに穴あき傘をさしてあげるのです。同情で儲けたお金で彼らは生きているのでした。その時に感じたインドネシアの子と私のギャップ。

「その差を埋めたい」

幼少期に感じたその思いが、私の生きる源泉です。

日本に帰国した私は、小学校のクラスに馴染むのに必死でした。勝手に「できる子」を定義して、それに向かっていました。

インドネシアから帰ってきて、日本食が美味しすぎて激太りし、体は強そうなのに心は弱い。そんな子でした。

小学校5年生からミニバスケットボールを始め、少しは気持ちが強い子になった気がします。

成熟期:中学生〜高校生

中学校は強豪バスケットボール部を目的に決め、電車とバスで往復3時間の通学をしていました。

中学1年生のときに、先輩が全国制覇を成し遂げ、それを目標に必死に練習し、中学3年生のとき、引退をかけた大会では、東京都3位、関東大会3位、全国大会3位という"奇跡的な結果"を残すことができました。

個の力は他のチームと差はなかったと思います。むしろ、周囲からは劣っていると言われていました。個人ではなくチームだから結果が残せたのです。この経験から私は目に見えないチームの力を信じています。

高校受験では第一志望に不合格。高校時代は、その悔しさから毎日朝5時半に家を出て、満員電車を避け登校し、朝勉強。バスケ部の練習を終え、下校途中に図書館によって21時まで勉強。という日々を送りました。

大学は教師である両親の影響で、教育学部を選びます。

迷走期:大学生

第一志望の琉球大学教育学部に進学しました。

理由は、大勢の人が同じ波長で生きる東京で(当時は視野が狭くそう感じていました。)その波に同調すると個性がなくなりそうで怖かったからです。そこから離れて一人で暮らし、やらされる勉強から興味の赴くままに勉強したいという思いがありました。小さい頃に過ごしたインドネシアの雰囲気と沖縄が似ていたのも理由の一つかもしれません。

大学では「単位お化け」と言われました。自分の中にある小中高で染みついた東京の波長はすぐに変わるものではありませんね。2年間で卒業単位124単位を取り終え、卒業時には266単位(GPA3.6)を取得していました。

本質的な学びをしていたか?と聞かれたら「いいえ」と答えます。自分が没頭できる分野があれば、単位は最低限にして、自分の学びに移行すると思うからです。私はただ授業に出席して、知識人の講義を聞いて、図書館や研究室に籠りレポートを書く。それが好きだったのだと思います。
その甲斐あって、教育学士、総合環境学副専攻(SDGsなどを学ぶ)、幼・小・中高(理科)教員免許、図書館司書教諭資格、社会教育主事資格など「資格お化け」にもなりました。確実に、授業料は学びと見合っていると思います。

アルバイトでは、ひとり親家庭の子どもたち対象の学習支援員を4年弱、居酒屋での接客、生協でのレジ打ちなど、新しいことにチャレンジしました。

部活は、大学1年生のときに入部した女子バスケットボール部が廃部となり、一人で審判活動をしてなんとかバスケを継続。4年生のときに仲間とともに部を改めて立ち上げました。

変革期:大学院(現在)

小さい頃感じた「ギャップ」

沖縄で感じた「地方格差」

世界ではどうだろうか?

という疑問から、大学院国際協力研究科へ進学します。そこで2年間休学し、JICA青年海外協力隊としてフィジーの小学校教育に携わります。

フィジーでは自分の「しあわせ」の定義が揺らぎました。経済的に貧しい=「しあわせではない(不幸)」は違う。経済的に豊か=「しあわせ」と、いつしか定義づけていた私の価値観が揺らぎました。

それから、物理的な豊かさだけではなく、心の豊かさが必要だと考えるようになりました。

そして、自分自身の心の豊かさを求めにフィジーに来たのではないか?という自己中心的な自分に嫌気がさしました。日本はどうなの?と言われたときに答えられない自分の情けなさを感じたこともあります。

改めて自分がやりたいことを考え直し、日本の幸福度を上げるという夢を掲げました。

日本の労働人口は全人口の半分を越えており、そういった人たちの幸福度(=従業員エンゲージメント)を上げることで自分の夢に近づけるのではないかと考え、そういった理念を掲げる会社で働くために就職活動をしました。

現在は「しあわせ」とは何か?を模索しながら、大学院生として修士論文執筆に向けて勉強中です…

3.まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございました。

私は、自分の「しあわせ」を定義して、それに向かって歩める人が増えたらいいなと思っています🌻

まさに「これ "が" いい」を歩む人生です。

最近、Matcherホームページ運営を始めてみました!

まずは自分ができることから始めてみます!

今後ともどうぞよろしくお願いいたします(^人^)

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